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ハンガリーについてのスレです。
1 名前: イシュトヴァーン 投稿日: 2001/08/19(日) 16:57
ハンガリーについてのスレがなかったから、建ててみたよん。
2000年はハンガリー建国1000年。
みんな、ハンガリーについて語ってくれ。


2 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:01
ハンガリー人、つまりマジャール人と日本人とは、同族です。
マジャール人の祖先がアジアに住んでいたころ、東に行ったのが日本人で、西に行ったのがマジャール人なのです。
それゆえにハンガリー語と日本語とはくりそつです。


3 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:01
>>2
死ね


4 名前: 投稿日: 2001/08/19(日) 17:07
3よ。おまえがしね。
おれの理論的な説明に対抗できないからといって、意味のないカキコをするな。


5 名前: ヨーナ・ラウッカ 投稿日: 2001/08/19(日) 17:11
同族の定義って言語族レベルの話だろ?
人種と混同する馬鹿がいるから注意しろよ

>>4
それくらい知ってると思う


6 名前: ヨーナ・ラウッカ 投稿日: 2001/08/19(日) 17:12
先の文に「>>2の言う同族」に改定


7 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:14
現代ハンガリー人のDNAは他の東欧諸国となんら変わりない

言語ルーツが同じだからと言って親しむのは結構だが
あっちはそうでも無いことを言っておこう。


8 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:14
ハンガリー料理って日本で食える場所アル?


9 名前: 2(参考) 投稿日: 2001/08/19(日) 17:16
フィンランド人が「アジア系」であると言われるようになった理由は、
単純明解である。まず,同じくアジア系とされるハンガリー語や,
フィンランド湾の対岸のエストニア人の話すエストニア語とともに,
フィンランド語がウラル系と呼ばれる言語のグループに属しているこ
と,ウラル系の言語は,トルコ語やモンゴル語が属するとされるアル
タイ系の言語グループと親戚関係にあると考えている学者がいること
,この2点はよく知られている。ちなみに,日本語もアルタイ系だと
する説があって,もしこれが正しければ,フィンランド語やハンガリ
ー語が日本語の遠い親戚である可能性もゼロとは言えない。アルタイ
系のトルコ語やモンゴル語は,もちろん「アジア系」の言語であるか
ら,親戚関係にあるウラル系の,フィンランド語も,当然,「アジア
系」ということになる。かくして,「アジア系」の言語を母語とする
フィンランド人は,「アジア系」の民族であるという結論にたどりつ
く。

 要するに「アジア系の言語を母語とするから,民族としてもアジア
系だ」というのが,「フィンランド人アジア系」説の根拠となってい
ると考えてよかろう。さて,この「言語がアジア系だから,民族もア
ジア系」という,この一見もっともな理屈を世界の他の地域にもって
いって当てはめてみると,いささか滑稽なことになる。たとえば,イ
ンド人の多くが話すヒンディー語は,系統的には,英語・ドイツ語・
フランス語といった西ヨーロッパを代表する言語と同じインド・ヨー
ロッパ系の言語であることがわかっているが,では,ヒンディー語を
話すインド人は,「ヨーロッパ系」の民族なのだろうか。また,イン
ド・ヨーロッパ系の言語の代表であるサンスクリット語は,インドの
言語であるから,「アジア系」の言語である。したがって,サンスク
リット語と同じ系統にあるフランス語や英語は,「アジア系」の言語
であり,ゆえに,イギリス人やフランス人は「アジア系」の民族とい
うことになるのだろうか。これは,私たちがふつう抱いている考え方
と比べると,ずいぶんと突飛な結論である。


10 名前: 2 投稿日: 2001/08/19(日) 17:17
よって2のDQNぶりが証明された。


11 名前: 2じゃんくて俺は3だ 投稿日: 2001/08/19(日) 17:19
よって先の9・10は常識ある俺3の答えだ。

お馬鹿な>>2は死ね


12 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:19
西欧人と東欧人のDNAって違うの?


13 名前: 3 投稿日: 2001/08/19(日) 17:22
ここで,いや,ヨーロッパ人とアジア人は人種が違うから,肌の色とか
髪の毛を見れば,インド人がヨーロッパ系でないことや,フランス人が
アジア系でないことは明らかだとする反論がありうるが,この理屈は
「フィンランド人アジア系」説には,圧倒的に不利である。なぜなら,
どんなに頑固な人でも,フィンランド人を一目見たら,ヨーロッパ系と
認めざるを得ないからだ。ちなみに,遺伝子研究でも,フィンランド人
の多くは,日本人が典型的な欧米人と考える北ヨーロッパ系の白人と人
類学的にいちばん近いことが明らかにされている。つまり,フィンラン
ド人は,人類学的に紛れもないヨーロッパ人でる。さらに,宗教の点で
も,フィンランドの住民のほとんどはプロテスタントだから,文化の面
でも,正真正銘のヨーロッパ人と結論せざるをえず,「フィンランド人
アジア系」説は成り立たなくなってしまう。

 「フィンランド人アジア系」説の根拠となっている「フィンランド語
はアジア系」という考え方は,歴史的には,言語の優劣,さらには,
その言語の話し手であるフィンランド人の民族としての優劣の問題と結
びつけて論じられることが,少なくなかったから,ことはやっかい。


14 名前: 投稿日: 2001/08/19(日) 17:24
いいじゃねーか。
信じようぜ。
ハンガリーと日本人とは同族だって。
ほんとだって。


15 名前: 投稿日: 2001/08/19(日) 17:25
ハンガリー料理って美味いの?


16 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:26
ハンガリー人ほアジア人が嫌いだと聞いたが。


17 名前: 3 投稿日: 2001/08/19(日) 17:28
3よ。おまえがしね。
おれの理論的な説明に対抗できないからといって、意味のないカキコをするな。

プ


18 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:29
>>14
信じる信じないの問題じゃないんだが、、、、


19 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:35
>>16
うそばっか


20 名前: 自転車小僧 投稿日: 2001/08/19(日) 17:36
あの〜。皆さんはハンガリー語を学習したことあるんですか?
それから、ハンガリー人に会ったことあるんですか?
ハンガリー語と日本語が同族と言っている時点でハンガリー語を
知らないことが丸分かりです。
まず、日本語とハンガリー語で共通する語彙なんて物は偶然の一致くらいにしか存在
しません。
語順もSOVとヨーロッパの他言語と同じ、人称変化や目的語を含む動詞変化、時制、
単数・複数の概念など日本語とはかけ離れたものばかり。
それに、ウラル=アルタイ語族というのは今では存在を否定されています。
ウラル語族をいまはフィノ=ウゴル語族と言うのが普通。
納得いかないようでしたら、後で例文を書きますが。


21 名前: 投稿日: 2001/08/19(日) 17:37
やはり3は駄目人間。日本語も解していない。


22 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:39
>>2

>>20に対する理論的な説明モトム


23 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:43
http://k-free.com/neckie/NEM%20ERDEKEL.htm

絵がキモイね


24 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:44

 ┌─────────┐
 │ 自転車小僧警報が  |
 │   でています。  |
 └―――──――――┘
      ヽ(´ー`)ノ
         (  へ)
          く


25 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:45
 ┌─────────┐
 │ 自転車小僧警報が  |
 │    でています。  |
 └―――──――――┘
      ヽ(´ー`)ノ
         (  へ)
          く


26 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:45
>>20
ウラル語の族フィン・ウゴル語派


27 名前: 投稿日: 2001/08/19(日) 17:47
例文出してみろ。


28 名前: 投稿日: 2001/08/19(日) 17:48
語順違うじゃねーか。
ヨーロッパ語の語順

わたし  行く へ 大阪

I  go  to  Osaka

ハンガリー語の語順

わたし 大阪へ 行く

En Osakara megyek.


29 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:52
フィンランドでは現在、自国語を恥ずかしい言葉だと思っている


30 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 17:53
>>29
なんで?


31 名前: ソース 投稿日: 2001/08/19(日) 17:58
Suomen kieli kuuluu uralilaiseen kielikuntaan, ja sen sukukieliä
ovat muiden muassa viro ja unkari. Nämä kolme ovat samalla
ainoat uralilaiseen kielikuntaan kuuluvat kansalliskielet
Euroopassa. Uralilaiset kielet ovat rakenteeltaan agglutinoivia,
ja ne poikkeavat selvästi indoeurooppalaisista kielistä,
joita puhutaan joka puolella niiden naapureina. Suomen
kieli on Suomen tasavallan ehdoton enemmistökieli,
jota puhuu äidinkielenään 93 % kansalaisista. Suomen
lisäksi suomen kieltä puhutaan sen kaikissa naapurimaissa
ja muiden muassa USA:ssa, Kanadassa, Australiassa ja Saksassa.
Ruotsissa suomella on virallisen vähemmistökielen asema.
Yhteensä suomen puhujia on eri puolilla maailmaa noin 5,5 miljoonaa.


32 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 18:06
わかんない。


33 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 18:17
ハンガリー語については語学スレで。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gogaku&key=993899399&ls=50


34 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 18:19
>>20

ウラル語族のフィン・ウゴル語派 でしょ


35 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 18:23
34へ。
自転車小僧はもういないと思われ。


36 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 18:57
ハンガリー人が馬を操っているのを見ると、アジア系遊牧民族だったんだなと
思うね。
あと、僕があったハンガリー系カナダ人は、なんかインド人のような雰囲気の
顔つきしてた。モンゴロイドとコーカソイドの混血だという感じがするね。


37 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 19:40
モンゴロイド?


38 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/19(日) 20:30
>>28
曖昧な記憶だが、ラテン語は語順自由で基本語順はSOVだったはず。
絶対SVOじゃなきゃいけないのは英語とかフランス語とかのほうが例外なんじゃ?

>>37
コーカソイド。


39 名前: 自転車小僧 投稿日: 2001/08/20(月) 20:35
>2
おみゃ〜さん、言語学も歴史学も知らんようですな。

>わたし  行く へ 大阪
>I  go  to  Osaka
 S   V   (前置詞句)
>ハンガリー語の語順
>わたし 大阪へ 行く
>En Osakara megyek.
  S  (後置詞句)   V

普通、語順の比較をするときには自動詞文ではなく他動詞文の語順で比較するの!

例文:(En)    olvas-ok      egy   konyv-et.
  私(主格)読む-1人称単数現在 不定冠詞  本-対格語尾
    S     V            O
   Level-et    ir-ok        neki
手紙-対格語尾  書く-1人称単数現在  彼に
 (S) O1      V          O2
純粋にSVOとは言いにくいが、日本語と語順が違うことは分かると思う。
*長音記号やウムラウトは省略してます。

古代ハンガリー語の研究書を読んだが、やはり日本語ともモンゴル語とも
似ても似つかんものだったのを覚えている。

>31
在外フィンランド人からのメールですか?
何かインドヨーロッパ語族がどうの、フィンランドは93%フィンランドでしか
話されないの、フィンランドは550万人しか話さないのと余り意味のない内容
ですね。これがフィンランド人全体の意識とは思いませんが。
サーミ人はサーミ人であることに誇りを持っているし、サーミ語を話すことを
誇りに思っているようだが・・・。

>34
そうとも言う。ウラル語族と言う言い方をしない学者もいるのであえてそうした
だけ。

>38
その通り、ラテン語はSVOでもSOVでも、へたすりゃVSOでも良い。

ここでまじレス
ハンガリーはフン族の子孫と言う意味でHungaryと呼ばれるが自称はMagyarて、
皆知ってるか。
アジアとの関係で言えば、匈奴が西へ行ってフン族になりその子孫がMagyarに
なったと言う説があるが、未だ証明されていない。
アジア系と言えば、ブルガリアもモンゴル系?のブルガル族が西へ移動し、スラ
ブとの混血でブルガリア人になったそうだ。
ところで、匈奴は日本へ来たのかな?>2


40 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/20(月) 20:40
フィンランド語はウラル語族に属し,エストニア語およびハンガリー語と同族である。
ウラル語族のうち上記の3言語のみが,ヨーロッパでは国語としての地位をもつ。
ウラル語族は特性として膠着語であり,近隣諸国の印欧語族言語とは著しい相違点をもつ。
フィンランド共和国人口の93%が母国語として使用しているフィンランド語は同国では
圧倒的な優位言語である。隣接する諸外国でもフィンランド語人口は存在し,
さらに,アメリカ合衆国,カナダ,オーストラリア,ドイツでもフィンランド語人口
が存在する。スウェーデンではフィンランド語は少数派の公用語である。これら
フィンランド語人口は世界各所でおよそ550万人に達する。


41 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/20(月) 20:45
>>39
灯台?


42 名前: 名無し 投稿日: 2001/08/20(月) 21:33
 アヴァール人てイコールフン族なんですか?
 >8.15
 寂しい・・・。


43 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/20(月) 22:25
ハンガリー料理というとグラーシュスープとかかな?
トマト風味のやや利いた、汁気たっぷりのビーフシチュー。

オーストリアに旅したときに食べただけですけど、
日本でハウスとかのルーでよく作るアレに
すごく似てるので、ある意味懐かしい感じの料理でしたよ。


44 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/20(月) 22:57
煮込み料理が多いって言うよね・・・


45 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/22(水) 20:39
19世紀末のブダペストは面白そうだ。
電話でニュースを聞かせてくれる商売があったらしい。


46 名前: 自転車小僧 投稿日: 2001/08/22(水) 21:20
ハンガリーはボールペン、ルービックキューブ、電動式エレベーター?を発明した
国でもあります。


47 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/22(水) 21:29
数学者がらみで、結構、いいコンピュータ・エンジアニア輩出してるよ。
ハンガリー。

あとヴィルモス・ジグモントとか、56年がらみで逃げてきた芸術家も
多いな


48 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/22(水) 21:35
http://www.asahi-net.or.jp/~SJ7S-FKY/Pages/Japanese_Pages/Daigaku/Too_Koosu/Toooo_Koosu.html
>ユーラシア大陸で最初の地下鉄が走ったのは地下鉄で有名なパリでも、
オーストリア=ハンガリー二重君主国の帝都であったヴィーンでもなく、
ハンガリーのブダペストでした。
ノーベル賞受賞者が子供時代を過ごした町で一番多かったのもブダペストです。
ボールペンを発明したのも、操縦可能なヘリコプターを発明したのも、
ラジオや電話交換機を発明したのもハンガリー人です。
敦煌を発見した探検家のシュテイン・アウレール(サー・オーレル・スタイン)、
初めてチベットに潜入してチベット仏教を研究し、最初のチベット語英語辞書を著した
ケーレシュ=チョマ・シャーンドル、非ユークリッド幾何学の創始者ボーヤイ・
ヤーノシュもハンガリー人でした。アメリカが日本に原子爆弾を投下するための
マンハッタン計画に携わっていた主要科学者達(テッレル・エデ、シラールド・レオー、
ヴィーグネル・イェネー、ナイマン・ヤーノシュ)もハンガリー人科学者達でしたし、
第二次世界大戦後水爆を開発したのもハンガリー人科学者のテッレル・エデ
(エドワード・テラー)でした。我々が日頃悩まされている「ストレス」を発見した
シェイェ・ヤーノシュ(ジョン・セリエ)もハンガリー人ですし、
皆さんのクレジットカードに印刷されているホログラムを発明してノーベル賞を
もらったガーボル・デーネシュ(デニス・ガバー)もハンガリー人です。
コンピューターの父と呼ばれているナイマン・ヤーノシュ(ジョン・フォン・ノイマン)
もハンガリー人ですし、プログラム言語BASICを開発したケメーニ・ジェルジュ
(ジョージ・ケメニー)も、そして現在世界中のパソコンの頭脳であるCPUを
製造しているインテル社の会長のグローフ(グローブ)氏もハンガリー人です。
現在世界の経済を動かしている投資家のショロシュ・ジェルジュ(ジョージ・ソロス)
もハンガリー人ですね。


49 名前: 47 投稿日: 2001/08/22(水) 22:28
そうだそうだ。BASICのその人


50 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/23(木) 00:40
>>8
やや亀レスだが、東京の自由ヶ丘の、自由ヶ丘デパートの3Fに、
「カントリー」という店がある。結構歴史がある店らしい。


51 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/23(木) 02:47
>>39
小僧さんえ?よ、自転車さん、ひさしぶりだなあ?

>ハンガリーはフン族の子孫と言う意味でHungaryと呼ばれるが自称はMagyarて、
>皆知ってるか。

これはまったくの俗説で間違いであることが言語学大辞典にものっています。
あなたはご覧にならなかったのでしょうか?
もともとラテン語だかなにかで川の名前の「オンガル」だかなんだか忘れま
したが、それがもとになって後世になってHの音がくっついて「HUN」に
なったのを、たまたまフン族とこじつけたのが、始まりの俗説。

>アジアとの関係で言えば、匈奴が西へ行ってフン族になりその子孫がMagyarに
>なったと言う説があるが、未だ証明されていない。

これは、最近の歴史学では否定的な意見が主流です。あなたこそ歴史学を
知らないだけですね。


52 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/23(木) 04:21
ハンガリー出身のアメリカ人までハンガリー人に含めるなよ。


53 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/23(木) 04:30
というか、それらのほとんどがユダヤでしょ?


54 名前: 投稿日: 2001/08/23(木) 07:08
>>53
同意。学問の世界で成功したハンガリー出身者の大半はユダヤ系ですね。


55 名前: 梵阿弥 投稿日: 2001/08/23(木) 09:14
>>51
他でも書いたけど、今は南ウラルに住むオノグル人の一部がドニエプル下流から
パンノニアに定着したのがマジャル、他称ハンガリですな。
頭にHが付くのは、俗ラテン語はHを発音しなくなったことと関わるようです。
マジャルの名はモンゴルと関わるようです。


56 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/23(木) 14:15
友人のハンガリー人に聞いた話。
共産党政権の崩壊後総選挙が行われ初の民主的議会では、
国章に王冠を入れるか入れないかで大モメして審議ストップしたそうな。
約1年に渡って国章問題で他の問題そっちのけ。
おかげで経済ガタガタになったそうな。
ちなみに最終的に王冠が入ったって。


57 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/23(木) 16:58
所詮オスマン・トルコやハプスブルクの属国


58 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/24(金) 00:42
>51
おっしゃるとおりマジャール人はフン族の末裔ではありません。しかし、彼らの
民族伝承では彼らをパノニア平原に導いた族長アールパードはフン族の大王であ
るアッチラの末裔だということになっているそうです。中世の年代記等でもそう
いう記載になっているそうで、アールパード家の王たちは自分たちはアッチラの
子孫と信じていたのでしょう。
ちなみに現在のハンガリーでアッチラという名はけっこうポピュラーですが、こ
れは中世のそれとは関係なく近代になってハンガリーらしい名前ということで名
づけるのがはやりになった名残だそうです。

>57
モハーチの敗戦以後はおおせのとおり。しかしアンジュー家のカーロイ・ロベル
ト王やラオシュ大王の時代は強国でしたし、有名なマチャーシュ・コルヴィヌス
王はウイーンを攻略したりもしています。


59 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/24(金) 02:12
トカイワインは(・∀・) イイ!ミュージアム、いつか飲んでやる!


60 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/24(金) 05:15
2のアホや言語知識の自慢好きな自転車小僧のアホ
のせいでせっかくの場が台無し寸前になったね。
でも、他の方々のおかげでようやく仕切りなおし
できたみたいね。

ハンガリーといえば、東欧革命!
現代史に対する貢献度は高い。


61 名前: 投稿日: 2001/08/24(金) 13:43
ハンガリーといえば僕たちにとっては反スターリン主義の労働者評議会成立だったけど。

ブダのモスクワ広場の建物には、まだ1956の銃弾跡が残っていた・・・・。
広場の下にはロマ?かどうか知らないが貧しい露天市が。スラブ人村にいく電車はここで乗り換えるのよね。

それから、チェコなら「抵抗のプラハ」だろうけど、ハンガリーなら「ハンナ」かな。
ファシスト政権がハンガリー。緑色インターのひとつの帰結だな。


62 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/24(金) 14:26
>>56
ポーランドでも同じ事があった。しかし、ワレサが第二代大統領になった時、
国章に王冠を持たない統一労働者党の政権からでなく、王冠を持つロンドンの
亡命政権から政府を引き継いだという形式をとったので、この場合正当性があった。
このときロンドンの政権は公式に活動を停止した。


63 名前: 梵阿弥 投稿日: 2001/08/24(金) 16:41
ナジ・イムレ首相の顔写真を見たら、頭まん丸顔のっぺりで。
首相を出すような家の人は東方の血が濃かったのではないか。


64 名前: maro' 投稿日: 2001/08/24(金) 17:12
大戦中の矢十字党やミキ・ホルティについて突っ込んで
調べるには何か良い本はありますか?


65 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/24(金) 17:14
>>64
日本語に訳されている読みものはロスチャイルドの「現代東欧史」かな?


66 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/24(金) 17:30
>>65のは東欧諸国の相互関係がつかめてよろしい。


67 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/25(土) 00:58
>61
昨年ハンガリーを訪れたときちょうど1956の革命記念日だった。
そのとき戦った老兵たちが花束を手に国会前に集まっていた。
カメラを向けるのがはばかられるような厳粛な雰囲気だった。
>64
ハンガリーのコルヴイナ出版のサイトでフリーブックがダウンロード
できるが、その中にその時代を扱った本があるはず。
英文なのでまだなんとかなるのでは。


68 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/25(土) 01:15
ハンガリー建国に関する面白い本はありますか?


69 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/08/25(土) 12:36
>68
ハンガリー史については残念ながら恒文社のハンガリー史がほぼ唯一の存在。
国内ではあとは断片的な記述をあちこちから拾うしかないのでは。
英文の書籍なら>67のいうコルヴイナのサイトで読めます。
スピリット・オブ・ハンガリーとかいう本が読み物的には面白いと知人から聞いた
ことがある。


70 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/08/27 11:20 ID:l3yEErQQ
日本人の東欧関係の知識の貧弱さは、少し深刻かもしれない。
いみじくもヒトラーが国内へのプロパガンダに使用した「東欧の若い国々の民族には
堕落した西欧にない活力がある。これからは東欧の諸民族が台頭してくる。」と
いうようなことが、現実に今、起きている。
EU加盟後のEU議会における議席数は既に候補国各国ごとに決定されているが、
その数字を見れば、東欧の政治力と、教育レベルの高さから来る潜在的な経済力が
巨大であることが判る。


71 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/08/30 00:54 ID:qpZeCa4k
>69
恒文社の「トランシルバニア」コッシュ・カーロイ著にも初期のハンガリー
についての記載がある。
あとはいろいろな書籍から記述を拾うか、英文書籍に挑戦かしかなかろう。


72 名前: 酔鯨ジョーカー 投稿日: 01/08/30 08:35 ID:4jHydex2
ハンガリー人のポルノ女優やヌードモデルは国際的に活躍しているよ。


73 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/08/31 01:03 ID:dWi0yiNk
>72
例のチッチョリーナもそうだっけ?
マジャール人て美人が多いのか?


74 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/08/31 13:41 ID:idJWorC6
>>73
チッチョリーナがハンガリー系かどうかしらんが、
彼女を美人だと思う君はかなりイタイ。


75 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/01 00:36 ID:ST8FULGc
>74
73だが、誰も美人とは思っていないよ。
いくらなんでもそこまで悪趣味ではないぞ。。


76 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/01 01:17 ID:5/11zh8k
チッチョリーナは旧ユーゴ出身のはず。
若い頃は、村一番の美人で、近隣地域でも評判だったらしい。
で、「先進国イタリア」(<ユーゴからみりゃ、すごい先進国)に
行って、ポルノ女優になっちゃった。
白人の美人は、若い頃はウソみたいに美しいけど、
そんな人でも年を食ったら「魔女」になっちゃう(笑)

ちなみにシルヴィア・セイント(ポルノ女優)はチェコ人だよね。
ハンガリーの隣国。


77 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/01 02:09 ID:sL0Wbpac
チチョリーナも、イロナ・スターラとして池田満寿夫の
「エーゲ海に捧ぐ」に出演してた頃は、それなりに若く
て綺麗だった。

世界史に関係ないので、sage。


78 名前: Cavabien 投稿日: 01/09/01 08:28 ID:7O3o5/qQ
ハンガリー史という事なら
恒文社「ハンガリー史」
白水社文庫クセジュ「ハンガリー」
の2冊でしょうか。
後者は価格的に入手しやすいと思います。


79 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/02 00:25 ID:oUyE0a8Q
>76
魔女以外にトドになるという道もある。
なんであんなに変身してしまうのか・・・・。
>78
たしかにそうなんだけど内容が簡単すぎるように思う


80 名前: Cavabien 投稿日: 01/09/02 00:29 ID:Ft3A7Ye6
ええ、実際簡単です。>>79サン
まぁ初心者も見るであろうと言う事で・・。


81 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/02 01:00 ID:hi8hVml.
でも枠をハンガリーで区切った通史ってそれくらいしかないんじゃない?
山川世界各国史(新版)だと「ドナウ・ヨーロッパ史」に入れられてるし。


82 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/03 00:47 ID:RR74Evjo
>81
そのとおり。チェコなんかクセジュ以外通史もないのであるだけマシかも。
ルーマニア史も絶版だし。


83 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/07 01:41
>81
そういえばまともな辞書もない。唯一あるのははるか昔の焼き直しで
しかも価格は4万円


84 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/07 06:18
>>83
大阪外語大のハンガリー語専攻ではどうやって勉強してるんだろ?
その辞書使うのかな?


85 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/07 11:20
>>81-82
恒文社のがあるんじゃないか?
現地の学者が書いた奴の翻訳シリーズ。
印刷がセコイ癖に1万円ぐらいする高いやつ。


86 名前: トルコの駆逐 投稿日: 01/09/07 16:50
モハーチの戦い(1526)以来、ハンガリーに侵入したオスマン・トルコ軍は、
その余勢を駆って、ハプスブルク軍と戦いを交えると共に、ウィーン攻略を企図したが、
成功しなかった。1682年、メフメト4世のトルコ軍20万は、
大宰相カラ・ムスタファ・パシャの指揮の下に、ハプスブルク帝国内部の紛争に乗じて
攻撃を開始した。1683年7月、トルコ軍はウィーンを包囲したが、
ヤン・ソビエスキーの率いるポーランド軍およびその他の国々からの援軍により、
9月12日トルコ軍は撃退せられ、ベオグラードまで退くの止むなきに至った。
そこでカラ・ムスタファは敗戦の責任を問われて処刑された。
1684年、ローマ法皇インノケンティウス11世の提唱により、オーストリア、
ポーランド、ヴェネツィアおよびロシアの神聖同盟が形成せられ、オーストリアと
フランスとは20年間の平和条約を締結する。トルコ軍はこれらの連合軍によって
西部のオーストリア国境の到る処で撃破せられ、1686年の夏にはブダ、
1687年にはトランシルバニアが、それぞれトルコから解放された。
1697年、ゼンタの戦いで、トルコ軍は大敗を喫し、1699年1月28日
カルロヴィッツ条約が調印された。この結果、オーストリアはトランシルバニアを領有し、
テメスヴァル州はトルコ領にとどまった。斯くしてハンガリーのほぼ全域が
ハプスブルク家の領土となり、ヴェネツィア、ポーランド、ロシアも若干の領土を獲得した。


87 名前: 酔鯨ジョーカー 投稿日: 01/09/07 21:00
ハンガリーはトルコのバルカン上陸の際にもブルガリアと共にトルコと戦ったよね(敗れたけど)。それはそうと、ハンガリー人のマンコはデカいよ。


88 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/07 21:22
王国なのに王が存在せず
内陸国なのに摂政が海軍提督だった
ハンガリー万歳!


89 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/08 01:17
>85
あります。その本以外にないか?という話なのですよ。
内容も古いし新しい本がほしいけど売れないのでしょうな。
>87
ヴァルナとコソボの戦いですな。
しかしベオグラードでは大勝して、いまでも勝利を記念して教会は正午に鐘を
ならします。
>88
悪い冗談みたいだけど事実なんだよね。
ホルティって旧オーストリア・ハンガリー海軍の司令なんですよね。
トラップ大佐の上司になるのか。


90 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/08 18:08
もうシメオン2世の組閣は終わってるんだろうけど、
どういう人事になったのかな?


91 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/08 23:45
>90
それはハンガリーじゃないよ


92 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/09 22:56
ホルティの子孫ってどこでどうしてるんだ?
本人は亡命したはずだが、ブルガリアみたいに帰ってこいよ〜


93 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/09 23:52
遊牧民族が単一民族・人種であることは有り得ない
フンやアヴァールやモンゴルも色々な部族・人種の混じりあった両同体なのだ


94 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/09 23:55
フンに族していた者の末裔がマジャールになったりしていたとしても不思議ではない


95 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/10 00:23
>94
そういう者がいても全く不思議はない。
そもそも、パンノニアに入ってきた時点でも根拠地を襲撃されての
逃亡だったので男所帯だったとかいう話もある。
後にもクマン人を領域内に受け入れているし、モンゴルの侵攻後は
荒廃した国土に移民を積極的に受け入れている。
王にしたところでアールパード家断絶後は外国から迎え入れている
ので、くっついてきた家臣も多かろう。
純粋に元からのマジャール人が今どのぐらいいるのだろうか。


96 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/10 00:32
クマン人だけじゃなくアバール人や
カバール人(ハザール人の支族)も
含まれていると思われ。


97 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/10 11:23
基層住民(平民)と王族が、侵略した遊牧民のマジャール人。そこに農耕を知っていたスラブ人が
多く同化し、マジャール人と共に士族(貴族)階級および平民を形成した。そのため
マジャール人はパンノニアに定住し、多くが農業を覚えていった。


98 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/11 00:57
>94
貴族にしてもクロアチア人(ズリーニ家)ドイツ人(バートリー家)
スロベニア人(ツィレイ家)ルーマニア人(フニャディ家)等いろいろ。


99 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/11 01:04
キンスキー家についてご存知の方いましたら御教授願います!


100 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/12 00:47
>99
プラハに館のあるキンスキー家かな?
ハンガリー貴族じゃないはずだが。


101 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/17 21:06
ハプスブルク家はまだ国籍は取得してないの?


102 名前: カウニッツ@99 投稿日: 01/09/17 22:30
>>100さん、キンスキー家って、ハンガリー貴族ではなく、ベーメン貴族だったんですか。
どうもです。


103 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/18 00:59
>101
ハンガリー在住の方もおられるはず。先日、どなたかにお子さんが生まれた
という話がありました。


104 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/18 01:43
>102
ttp://pages.prodigy.net/ptheroff/gotha/kinsky.html
キンスキー家の家系図
しかし、どこ出身とは書かれていないのが残念。
プラハのキンスキー家の館は旧市役所前の旧市外広場にあります。


105 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/25 06:40
ロシア、旧ソ連、東欧諸国の左翼運動観察掲示板
http://freebbs.fargaia.com/html/russianleftists.html
ハンガリー
http://freebbs.fargaia.com/res.cgi?id=russianleftists&key=000026&ls=50


106 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/27 01:38
>105
はて?ハンガリーの左翼運動ですか・・・・。


107 名前: しい坊 投稿日: 01/09/27 17:25
>1 :イシュトヴァーンさん

> 2000年はハンガリー建国1000年。
> みんな、ハンガリーについて語ってくれ。

正確には、“ハンガリー建国”一千周年ではなく、“ハン
ガリー王国成立”一千周年ですね。西洋社会では「王」
(rex) という称号は勝手に名乗れず、ローマ法王からその
称号を授けられる必要があるわけです(だから、ヨーロッ
パには未だに君主国なのに王国ではなく大公国とか公国と
かがあるわけですね。歴史的な日本語の用法に従えば、こ
れらはすべて「王」となります)。で、ハンガリー公国の
イシュトヴァーン公(イシュトヴァーン、すなわちラテン
名ステパノは霊名であり、本名はヴァイクと称した)が、
めでたくローマ法王から王冠を授けられて、教会法上めで
たく「王国」に格上げされたイシュトヴァーン公の戴冠式
が行われたのが、(第一千年紀である)9世紀の紀元1000
年12月25日の水曜日(長保2年11月21日)または(第二千
年紀である)10世紀の紀元1001年1月1日の水曜日(長保2
年11月28日)だったわけです(要するに1週間しか違わな
いのですが、世紀としては1世紀、千年紀としては1千年
紀の差になるわけです (^^;))。だから正確には“王制一
千周年”なのかな?

で、日本の外務省なんかは1995年にハンガリーで“征服定
住 (honfogalala's) 一千百年祭”を祝ったのを「ハンガ
リー建国一千百年祭」と訳してしまったものだから、2000
年になってまたまた「ハンガリー建国一千年祭」となって
(しかも百年も若くなってしまっている!)困ったわけで
す。実際にはハンガリー人は紀元895年以前からカルパチ
ア盆地(領土が現在のように3分の1になる以前の歴史的
ハンガリー)に侵入を始めていたらしく、最初のハンガ
リー人がカルパチア盆地に登場した年については諸説があ
り、ラースロー・ジュラなどという考古学者は、騎馬民族
のフン族が建国したフンニア王国滅亡後、ハンガリー人の
征服定住以前に、ここに建国したやはり騎馬民族のアヴァ
ル人のアヴァリア王国のアヴァル人もハンガリー人と同系
のマジャル人であったのではないかという“二重征服定住
説”を唱えています。

とりあえず、紀元895年から1920年のトリアノン条約まで
のハンガリーの領土(カルパチア盆地全域)を“歴史的ハ
ンガリー”と呼びます。


108 名前: しい坊 投稿日: 01/09/27 17:56
2 :世界@名無史さん

> ハンガリー人、つまりマジャール人と日本人とは、同族
> です。

これまで日本人とハンガリー人が同族だと証明された事実
は1度もありません。ちなみにハンガリー人の自称である
magyar は短母音なので“マジャール”と表記するよりも
“マジャル”と表記した方がより適切かと思われます。
(しかし、“ハンガリー人”=“マジャル人”なのですか
ら、あえてマジャル人と呼ぶ必要もないでしょう。)


> マジャール人の祖先がアジアに住んでいたころ、東に
> 行ったのが日本人で、西に行ったのがマジャール人なの
> です。

それは誰かの創作ですね。


> それゆえにハンガリー語と日本語とはくりそつです。

ハンガリー語と日本語が文法的には恐ろしく(かつ嬉しい
ことに)酷似していることは事実ですが、両言語が酷似し
ていることは言語類型論の問題であって、両民族の系統の
問題には関係はありません。正確には何も証明されており
ません。“他人の空似”でも、似ていればいいじゃああり
ませんか (^o^)♪ “遠い親戚よりも近くの友人”です
よ。


109 名前: しい坊 投稿日: 01/09/27 18:02
5 :ヨーナ・ラウッカさん

> 同族の定義って言語族レベルの話だろ?
> 人種と混同する馬鹿がいるから注意しろよ

言語学のレベルでも日本語とハンガリー語の同族関係は全
く証明されていません。

面白いことに言語(ソフト)の移動は、もちろん実際にそ
の言語を話す人間(ハード)が移動することによって起る
わけですが、人種の方は比較的早く周囲の人種に同化され
てしまうので、マクロ的に見ると、ユーラシア大陸の人種
分布は一切変わらず、人種というハードの上を言語という
ソフトだけが流れて移動しているように見えます。スカン
ジナヴィアに移住したフィンランド人(スオミ人)は色白
の金髪が多いですが、中央ヨーロッパに移住したハンガ
リー人は、人種的には西ハンガリー人はドイツ人的、北ハ
ンガリー人は金髪の多いスロヴァキア人的、トランシル
ヴァニアのハンガリー人はルーマニア人的、南ハンガリー
人はセルビア人のようなディナール型の人種が目立ちま
す。


110 名前: しい坊 投稿日: 01/09/27 18:11
7 :世界@名無史さん

> 現代ハンガリー人のDNAは他の東欧諸国となんら変わり
> ない

中東欧のDNAですね。ゲルマンのDNAもだいぶ
入っていますから。(西ハンガリーでは“Yes”にあたる
“igen”「イゲン」を“ja”(“ja'”ではない)
「ヤー」と言いますから (^^;)。)ただし、周囲のDNA
とは違う遺伝子を持ったハンガリー人も結構います。トラ
ンシルヴァニア東部に居住するセーケイ人と呼ばれるハン
ガリー人の一派にはバルト人種等も多いです。時々モンゴ
ロイド的な特徴を示すハンガリー人も見かけますが、彼ら
の多くはカルパチア盆地を征服定住したマジャル人の
DNAを持っているというよりは(多分、そういう人もい
るのでしょうが)多くはハンガリーの一部がオスマン・ト
ルコに占領されていた時期の名残か、ハンガリー国王の庇
護を求め、ハンガリー中央部に定住を許されたトルコ系の
クマン人のものでしょう。時々ハンガリーを旅行した人が
「ハンガリー人はアジア人のはずなのに白人ばかりが目立
つ。しかし、よく見ると、色の浅黒い裸足で物乞いをして
いる人間に出会うので、あれがマジャール人だろう」なん
て本を書く人がいますが、それはジプシー人(ロマ人)で
す (^^;)。


> 言語ルーツが同じだからと言って親しむのは結構だが
> あっちはそうでも無いことを言っておこう。

言語ルーツ自体、同じだということは証明されていません
が、ハンガリー人が親日的であることは事実です。戦前ハ
ンガリーで流行ったツラン運動では、日洪同系論が盛んで
したからね。ただし、ハンガリーに限らず、概ねロシア、
東欧は親日的です。


111 名前: しい坊 投稿日: 01/09/27 18:38
13 :3 さん

> ここで,いや,ヨーロッパ人とアジア人は人種が違うか
> ら,肌の色とか髪の毛を見れば,インド人がヨーロッパ
> 系でないことや,フランス人がアジア系でないことは明
> らかだとする反論がありうるが,この理屈は「フィンラ
> ンド人アジア系」説には,圧倒的に不利である。なぜな
> ら,どんなに頑固な人でも,フィンランド人を一目見た
> ら,ヨーロッパ系と認めざるを得ないからだ。ちなみ
> に,遺伝子研究でも,フィンランド人の多くは,日本人
> が典型的な欧米人と考える北ヨーロッパ系の白人と人類
> 学的にいちばん近いことが明らかにされている。つま
> り,フィンランド人は,人類学的に紛れもないヨーロッ
> パ人でる。

ちなみに、フィンランドに大量に居住しているラップ人
(サーミ人)は明らかにアジア人的な風貌をしています。
今のところ、ラップ語人はバルト・フィン化されたサモエ
ド人だという説が定説になっていますが、おかしなこと
に、ラップ語で区別している母音をフィンランド語で区別
していなかったりします。そこで、実はフィンランド人こ
そウラル化されたバルト人ないしゲルマン人なのではない
かという説も信憑性を持ってくるわけです。(この説はま
だ定説にはなっていません。)


> さらに,宗教の点でも,フィンランドの住民のほとんど
> はプロテスタントだから,文化の面でも,正真正銘の
> ヨーロッパ人と結論せざるをえず,「フィンランド人ア
> ジア系」説は成り立たなくなってしまう。

フィンランド人でもカレリア人は正教徒ですし、ま、この
際宗教はどうでもいいことでしょう。大事なのは人種と言
語...。どちらにせよ、例えば類型論的にはほとんど英語
の中国語も“アジア系”の言語ですから、“アジア系”と
いう用語にあまり意味はありません。はい。


112 名前: しい坊 投稿日: 01/09/27 18:42
15 :8さん

> ハンガリー料理って美味いの?

ハンガリー料理はヨーロッパのメジャーな料理の1つで
す。スパイシーで脂っこいので日本人は苦手かなと思って
いたのですが、ハンガリー料理を食べた日本人は誰もがと
ても美味しいと言いますね。しかし、なぜか日本ではハン
ガリー・レストランは成功せず、だいたいどこも潰れてい
ます (^^;)。経営能力のある人がハンガリー・レストラン
を開業しないみたい...。


113 名前: しい坊 投稿日: 01/09/27 18:46
16 :世界@名無史さん

> ハンガリー人ほアジア人が嫌いだと聞いたが。

それは誤解ですね。もっともハンガリー人が好きなのは
“アジア人”ではなく、“日本人”ですね。不思議なこと
に日本人は好きですが、中国人や朝鮮人はあまり好きでは
ないようです。やはり民族的“ブランド指向”なのか?

日本人は“アジア人”というと日本人や中国人のようなモ
ンゴロイドを想像しますが、ヨーロッパに居住しているハ
ンガリー人にとってはアラブ人やトルコ人が最も身近なア
ジア人ですよね。彼らに対してはそれほどいい印象は持っ
ていないでしょう。特にオスマン・トルコには、ハンガ
リーの中央部の3分の1程を150年間に渡って占領されて
いましたからね。しかし、そうは言っても不思議なこと
に、バルカンの住民のようなトルコに対する憎悪はないよ
うです。むしろ日本の戦国時代のように、トルコはよきラ
イバルだったという感じですかね? 多分、トルコと対等
に渡り合ってきた民族と、バルカンのように一方的に征服
され続けた民族との違いなんでしょうね。


114 名前: しい坊 投稿日: 01/09/27 19:14
0 :自転車小僧さん

> あの〜。皆さんはハンガリー語を学習したことあるんで
> すか?

あります。


> それから、ハンガリー人に会ったことあるんですか?

あります。


> ハンガリー語と日本語が同族と言っている時点でハンガ
> リー語を知らないことが丸分かりです。

ハンガリー語を“知ってる”人の間にもそう信じている人
はたくさんいます (^^;)。だいたい、日本人でハンガリー
語を学習したことのある人なら、最初はだいたいどこかで
日本語とハンガリー語は同系だという説を読んで、ハンガ
リー語に興味を持った場合が大部分でしょう。ただし、そ
の後専門的に研究すれば、そうではないと目が覚めるわけ
ですが...。


> まず、日本語とハンガリー語で共通する語彙なんて物は
> 偶然の一致くらいにしか存在しません。

探して行くと、実は結構あるように見えます。しかし、言
語学的な検証をするとほとんどが破綻します。また、本当
に同系の語彙もあるのですが、そういう“文化語”と呼ば
れるものはほとんど全世界共通だったりします。つまり、
恐らくは太古の時代のハイテク用語 (?) で全世界に借用
語として伝わったものなのでしょうね。


> 語順もSOVとヨーロッパの他言語と同じ、

日本人のよく知っているヨーロッパのメジャーな言語の語
順はほとんどが日本語のようなSOV(主語+目的語+動
詞)ではなく、SVO(主語+動詞+目的語)ですが?

ちなみに現代ハンガリー語の語順はSOVでもSVOでも
ありません。ただし、分詞構造(関係詞節構造)とか形態
素レベルの並び方を見ると、統語論レベルでのハンガリー
語の語順は恐らくは大昔はSOV(つまり日本語と同じ語
順)がデフォルトだったと考える方がいいと思われます。

[続く]


115 名前: しい坊 投稿日: 01/09/27 19:16
20 :自転車小僧さん

[続き]

> 人称変化や目的語を含む動詞変化、

これは日本語との同系が疑われている (?) アルタイ
語族でも一般的ですので、人称活用が日本語にないという
こと自体はあまり問題にはならないと思います。むしろ日
本語が特殊で、場合によっては古代日本語でそういう活用
が失われたと考えることも可能です。(あくまでも“可
能”というだけ。)


> 時制、

ハンガリー語では日本語と同じで印欧語のような意味での
“時制”はありません。日本語では過去・現在・未来に関
らず、その時点で相対的に完了しているのか、完了してい
ないのかだけで「た」が付きます。ハンガリー語でも同様
で時制に関りなく、完了しているものには「-ta(/-te/-
t)」が付きます。

例えば日本語では「昨日、銀座を“行く”と田中さんに
“会った」とか「明日、学校から“帰った”ら、映画に
“行く”」のように使いますが(時制は「昨日」とか「明
日」と言った時の副詞で表現している)、ハンガリー語の
場合も全く同じです。


> 単数・複数の概念など日本語とはかけ離れたものばか
> り。

日本語の複数形(単数形を2回繰り返す)はアルタイ
系のものではなく、南方の言語の特徴のようですね。多
分、これは日本語が混交言語であることに由来するのだと
思われます。日本語が混交言語である可能性が高い以上
は、あまり日本語がアルタイ語族に属するのかどうかなん
ていうことは議論しても意味がないことです。要は日本語
の中のアルタイ的な部分がハンガリー語と同系なのかどう
かでしょう。しかし、これは日本語とハンガリー語の比較
の問題ではなく、まず、アルタイ語族の成立が証明されな
ければならず、次にウラル語族とアルタイ語族の親縁関係
が証明され、さらに日本語の中にアルタイ語族に属する部
分が存在するということが証明されて初めて、日本語とハ
ンガリー語の(部分的)同系説は証明されるわけです。手
順をきちんと踏まないといけませんね。

[続く]


116 名前: しい坊 投稿日: 01/09/27 19:18
20 :自転車小僧さん

[続き]



> それに、ウラル=アルタイ語族というのは今では存在を
> 否定されています。

正確には、ウラルアルタイ語族の存在が否定されてい
るのではなく、ウラルアルタイ語族の存在が証明されてい
ないので、そういう用語は言語学では使わなくなっている
ということですね。理論上はそれが今後証明される可能性
はありうるわけです。それが実際に証明されるかどうかは
非常に疑わしいですが、少なくとも、日本語とタミール語
やレプチャ語との同系説よりは蓋然性は高いとは思われま
す。


> ウラル語族をいまはフィノ=ウゴル語族と言うのが普
> 通。

残念でした。ウラル語族とはフィンウゴル語派とサモエド
語派を統合する上位概念です。言わば、“ウラル語族”は
“インドヨーロッパ語族”にあたり、“フィンウゴル”は
“ゲルマン”とか“スラヴ”にあたる概念です。で、現
在、ウラル語族の存在を否定する理論は、少なくとも言語
学上ではありません。なお、日本のウラル学やフィンウゴ
ル学では“フィノ=ウゴル”という用語は使いません。こ
れは何でも英語で言わないと気に済まない英語学の人達が
使っている用語ですね。日本の英和辞典等にも“フィノウ
ゴル”と書かれていますが、当の専門家達が一切使わない
不思議な用語です。ちなみに日本語の“フィンウゴル”と
いう用語の語源は、ハンガリー語の“finnugor”で、戦前
ハンガリーに留学されていた徳永 康元先生が和訳された
ものです。


> 納得いかないようでしたら、後で例文を書きますが。

ぜひ (^^)! 興味あります (^^)!


117 名前: しい坊 投稿日: 01/09/27 19:23
28 :2さん

> 語順違うじゃねーか。
> ヨーロッパ語の語順
> わたし  行く へ 大阪
> I  go  to  Osaka
> ハンガリー語の語順
> わたし 大阪へ 行く
> En Osakara megyek.

(E'n) O'szaka'BA me:gye:k”ですね。

ハンガリー語では「へ」に当たる場所の格語尾には「〜の
中へ」という意味の「-ba/-be」と、「〜の上へ」という
意味の「-ra/-re」の二種類がありますが(本当は「〜の
所へ」という「-hozo/-he:z/-ho:z」もあるが、地名には
用いられない←ちょっと不正確)。で、どの地名がどっち
を取るかは地名によって決まってきます。しかし、“外国
の地名”は全て「-ba/-be」を使うということになってい
ます。ただし、ここで言う外国には、現在外国領となって
いる歴史的ハンガリーの地名は含まれませんが (^^;)。こ
れはハンガリーの土地が外国領になったからと言って、そ
このハンガリー語の地名の文法が変わるわけではないの
で、陶然と言えば、当然ですね。


118 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/27 23:44
うーむ、2chらしからぬ懇切丁寧なレスですな…ご苦労様です。
やっぱり実際にハンガリー語を勉強して
ハンガリー人とも付き合いのある人の発言が詳しいし説得力あるね。


119 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/28 15:27
ハンガリーは世界で2番目に革命政権が権力を握った
歴史的に有名な国です。


120 名前: いろいろおしえてちょ 投稿日: 01/09/28 15:41
Budapest Autonomous Community (Budapesti Autonóm Társulás, BAT) Green Democrats (Zöld Demokraták) inofficial
http://www.extra.hu/bathp/(Text)

Green Democrats (Zöld Demokraták) inofficial
http://www.europeangreens.org/Hungary.html(Text)

Humanist Party (Humanista Párt)
http://www.humanista.hu/hp/(Text)

Hungarian Socialist Party (Magyar Szocialista Párt, MSzP)
http://www.mszp.hu/(Text)

Left Alternative Association (Baloldali Alternatíva Egyesülés, BAL)
http://www.bal.hu/(Text)

Social Democratic Party (Szociáldemokrata Párt, SDP)
http://www.szdp.hu/(Text)

Workers' Party (Munkáspárt)
http://www.munkaspart.hu/(Text)


121 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/29 20:59
>>110
熊襲=クマン人=トルコ系
ということで現在の熊本人はトルコ系と思われる。


122 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 14:22
>42 :名無しさん

> アヴァール人てイコールフン族なんですか?

 ハンガリー(マジャル)人が征服定住したカルパチア盆地にはいくつもの
騎馬民族が建国しました。その主な民族を歴史的な順序で挙げると、フン人
(フンニア)、アヴァル人(アヴァリア)、ハンガリー人(ウンガーリア>
フンガーリア)となります。騎馬民族同士だから互いに何らかの血縁関係も
どこかにあったかもしれませんが、基本的にはそれぞれ異民族です。アヴァ
ル人はハンガリー人と同系ではなかったのかという学説もありますが、今の
ところ、学界で定説となるには至っていません。最後にカルパチアに定住し
たハンガリー人は7つの部族の連合体だったと言われており、当時カルパチ
アに浸入してきたハンガリー人の人口に関しては13万人から50万人まで、
色々な説があります。(当時は近代的な国勢調査がなかったため、真相は恐
らく永遠に薮の中...。)人種的な構成は支配層の墓の人骨にシノイド(モン
ゴロイド)系が多く、平民の人骨にはエウロポイド(コーカソイド)のもの
が多く、恐らくはハンガリー人が現在のカルパチア盆地に侵入してきた時点
ですでに人種的には多彩だったと(すなわち純粋に“アジア系人種”ではな
かったと)推定されています。アヴァル人とハンガリー人との同系説の根拠
は考古学的な発掘調査で両民族の出土品、その他に有意な差違が認められな
いためです。


123 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 14:28
43 :世界@名無史さん

> ハンガリー料理というとグラーシュスープとかかな?

 世界的に有名なハンガリー料理の名前は“グヤーシュ”(gulya's) です。
ハンガリー語の“ly”は通常はただの [j] と読まれます。(ただし、一部の
方言では [λ] と発音されたり [l] と発音されたりもします。あと、“y”
の部分が古語の“i”の異形である場合には“ly”は [li] と発音されま
す。)

 ちなみに、ハンガリー国外で一般的に“グヤーシュ”(グーラッシュ)と
呼ばれている料理は、多くの場合はグヤーシュではなく、“ペルケルト”
(po:rko:lt) というハンガリーの庶民の好む国民食です。


124 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 14:34
47 :世界@名無史さん

> あとヴィルモス・ジグモントとか、

 ハリウッドの名撮影監督の名前はジグモンド・ヴィルモシュです
ね。ハンガリー語はドイツ語とは違いますから、語末の有声子音が
無声化 (正しくは lenis 化) することはありません。きちんと
「ド」と発音します。また、ハンガリー語の“s”は英語の“sh”
の音になり、“sz”が [s] です。

 ジグモンドは『未知との遭遇』の撮影監督も務めていましたが、
宇宙人とのコミュニケーションにハンガリー人作曲家で、音楽教育
家でもあるコダーイ・ゾルターンの提唱したコダーイ法(日本では
なぜかコダーイ・システムと称される)のハンドサインが用いられ
ていますね。


125 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 14:45
50 :世界@名無史さん

> >>8
> やや亀レスだが、東京の自由ヶ丘の、自由ヶ丘デパートの3F
> に、「カントリー」という店がある

 首都圏では、多分、唯一、自称ハンガリー料理が食べられるレス
トランでしょうね。(味のことは置いておいて、メニューの料理名
の表記がいい加減なことの方が気になりますね。)

 数年前までは名古屋にハンガリー人(多分セーケイ人?)の経営
するハンガリー・レストランがあったのですが、残念ながら潰れた
ようです。

 あと、最近、新潟県の日本海の海岸沿いを走る国道8号線沿いの
『うみてらす名立』という名の道の駅の中に『パプリカ』というレ
ストランができ、一応、メニューにはグヤーシュもあるという話を
聞いたことがあります。未確認ですが...。


126 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 15:11
>39 :自転車小僧さん

 自転車小僧さんは結構お詳しそうですね。大学か大学院でハンガリー語か
言語学を専攻されれているのではないかとご推察申し上げます。


> 古代ハンガリー語の研究書を読んだが、やはり日本語ともモンゴ
> ル語とも似ても似つかんものだったのを覚えている。

 どの本でしょうか? 後学のためにぜひ、教えて下さい。

 ちなみに、現代ハンガリー語でも“vi'zmosta part”(水が洗った岸)の
ような表現は残っています。つまり、通常は形容分詞構文と呼ばれるもので
すが(現代ハンガリー語文法ではただの“形容詞”ということにされている
が、異議あり)、これは日本語などでは明らかに関係節です。公式のハンガ
リー語の文法の説明では分子構文は関係節ではないとされ(明らかに印欧語
族の分析に引きずられている)、分詞となる動詞の主語は埋め込まれ得ない
とされているのですが、この構文の vi'z(水)は明らかに主格です。

 中世ハンガリー語だと“ha'rom o:ko:r sza'ntotta fo:ld”(3頭の牛が
耕した土地)のような完璧な埋め込み分詞構文も残っており、非常に日本語
的ですよね。

 現存している最も古いハンガリー語の句構造は、(ちょっと手抜きで記憶
だけを頼りに引用しますが)

    “feheru uaru rea meneh hodu utu rea”
      白い  城 に  行く 軍勢(の)道  に

というのがバラトン湖のティハニュ半島の修道院建立状に残されています。
ハンガリー語は昔に戻れば戻るほど日本語に似て来ます。

 なお、現代ハンガリー語では英語のような関係詞節も存在しますが、これ
も嬉しくて泣きたくなるほど、日本人が英語などの関係詞節を直訳した形に
似ていますね。例えば、馬鹿みたいな例文ですが、「私はアニコーという名
の少女を知っている」は以下のようになります:

  Ismerem azt a la'nyt, akit Aniko'nak hi'vnak.
(私は)知っている その  少女を (who を)アニコーと  呼んでいる

 この文は中世ハンガリー語では

  Ismerem azt a la'nyt, az kit Aniko'nak hi'vnak.
(私は)知っている その  少女を その 誰を アニコーと  呼ぶ

と表記されました。要するに「私はその少女を知っている」「その誰を(皆
は)アニコーと呼んでいる」という構造なのですね。ハンガリー語の関係節
では通常は必ず先行詞が必要とされますが、これは多分、直訳の名残です。
また英語などとは違い、ハンガリー語では疑問詞と関係詞は語形的に区別さ
れ、関係詞は疑問詞に“a-”という接頭辞が付いた形を取ります。これは中
世ハンガリー語では単なる指示代名詞の「その」(az) でした。当初は ki
(誰)という疑問詞に対応する関係詞は“az ki”(その誰)のように表記さ
れ、後に“a' ki”のように省略されるようになり、発音上区別が付かない
ので、現代ハンガリー語では“aki”のように一語として認識されるように
なったものと思われます。なお、ハンガリー語の定冠詞の“az”も指示代名
詞の“az”(その)そのままですね。ハンガリー人達が周囲を印欧語族に囲
まれ、だんだんと印欧語族の構文を受け入れていった様子が非常に奇麗に見
うけられます。


127 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 15:23
>39 :自転車小僧さん

> ここでまじレスハンガリーはフン族の子孫と言う意味でHungaryと
> 呼ばれるが自称はMagyarて、皆知ってるか。

 まじレスで述べさせていただきますが、英語の Hungary、すなわ
ち、ラテン語の Hungaria(フンガーリア)はフン族の国という意味
ではありません。フン族の国は「フンニア」(Hunnia) です。(確か
ハンガリーの映画会社にもフンニア撮影所というのがあったと思いま
す。)

 ウラル地方から東方からの民族大移動の圧力により黒海の方に避難
してきたマジャル人はトルコ系のオノグル (onogur) 人の庇護を求
め、しばし彼らと行動を共にしておりました。その結果マジャル人達
も周囲から“オノグル人”と呼ばれるようになりました。ハンガリー
人がカルパチア盆地に征服定住した時にもそう呼ばれました。それが
転じたものが、ラテン語の民族名の Ungarus(ウンガールス)で、国
名の Ungaria(ウンガーリア)です。ドイツ語の Ungarn やロシア語
の Vengrija、イタリア語の Ungaria、フィンランド後の Unkari 等
は全てこの語形が語源です。その後、中世になって、西欧諸国で
Ungaria の先頭に黙音のHが付く表記が現れ始めました。ラテン語で
も Hungaria と書かれるようになりましたが、当初の発音は「ウン
ガーリア」のままだったと推定されます。それが後にHも発音される
ようになり、これが英語やフランス語等におけるハンガリーの表記に
なっていったものと思われます。ですから、語源的にフン族は全く関
係ありません。もっとも西欧で Ungaria の先頭にHがつくように
なったのには、多分、フン族との連想も働いていた可能性もありま
す。一節には中世フランスの学生の悪ふざけが発端だったとも言われ
ています。(このフランス人学生の悪戯説は、むかし、現在の駐日ハ
ンガリー大使のお父上のセルダヘイ・イシュトヴァーン先生に聞いた
ことです。)


> アジアとの関係で言えば、匈奴が西へ行ってフン族になりその子孫
> がMagyarになったと言う説があるが、未だ証明されていない。

 狩人のフノル (Hunor) とマゴル (Magor) 兄弟の伝説ですね。2人
で魔法の鹿 (csoda szarvas) を追って行き、最後に現地の娘を嫁に
し、フノルの子孫がフン族に、マゴルの子孫がマジャル族になったと
いう伝説です。しかし、これは恐らく中世の創作でしょう。


128 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 15:37
52 :世界@名無史さん

> ハンガリー出身のアメリカ人までハンガリー人に含めるなよ。

 すみませんねぇ。しかし、“米国籍を取得した者は全て米国人であ
る”という国籍至上主義の誤解は、恐らく、イザや・ペンダサンとい
うユダヤ人を騙った日本人の著作の『日本人とユダヤ人』の責任だと
思います。

 西洋世界では割と厳密に“国籍”と“民族籍”を区別しています。
国籍は別にその人間の民族を規定するものではなく、その人が住んで
いる場所で公民権を行使するための登録の問題で、言わば、日本の住
民登録のようなものです。国籍が変わったからと言って、その人の民
族籍まで自動的に変わるものではありません。民族籍は厳密な登録に
よるものではなく、本人の主観的な自覚の問題です。日本人は米国籍
の人間は誰でももはや米国人だと信じていますが(また米国の建前で
はそうしないと米国人がいなくなってしまう (^^;))、実際には本人
の民族所属意識は簡単に変わるものではありません。ウソだと思うな
ら、米国で活躍している有名なハンガリー人に“Are you
Hungarian?”と尋ねてみてください。“Yes!”と答えるだけではな
く、「あなたはそのことを知っているのか (^^)?」と嬉しそうな顔
をするはずです。

 ハンガリー人に限りませんが、通常米国移民は一世は本来の民族意
識が強く、二世は米国に過剰同化しようとして米国人意識が強烈にな
り、三世になると、再び自分のルーツに興味を持ち、出身民族の意識
が強まる傾向があるようです。

 ちなみに、米国で有名なハンガリー人学者の多くは、すでにハンガ
リー在住時代に業績を挙げている人達が多く、中年になってから米国
に迎えられた人が多いです。(ノーベル賞を受賞した“ハンガリー系
米国人”の多くは、その研究のほとんどを本国のハンガリーで行って
おり、単に米国に住むようになった時にその業績が認められて受賞し
たという場合が結構多いのです。)

 なお、米国に移民したヨーロッパ人の民族意識を尋ねるにはコツが
必要です。「あなたはハンガリーで生れたけれども、今は米国籍を取
得しているから当然米国人ですよね?」と(誘導尋問的に)尋ねれば
「もちろん、私はアメリカ人です」と答える場合が多いと思われま
す。しかし、「あなたは今は米国籍だけれども、本当はハンガリー人
ですよね?」と尋ねれば「もちろんです!」という答えが返ってくる
でしょう。

 ま、米国籍であれ、どこの国籍であれ、要は本人の意識の問題であ
り、我々外国人が勝手に「米国籍なんだからお前はアメリカ人なん
だ」と決めつけるべきものではないでしょう。全ては本人次第です。


129 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 15:49
>53 :世界@名無史さん

> というか、それらのほとんどがユダヤでしょ?

 ほとんではないにせよ、ユダヤ系が多いのは事実です。ただ、ハン
ガリー系ユダヤ人の民族意識は非常に特殊で、もちろん、米国では自
分はユダヤ人共同体の一員だという意識が一番強いのですが、不思議
なことに強烈なハンガリー人意識も有している場合が多いのです。理
由はなんなんでしょうねぇ? もしかすると、彼らの母語がハンガ
リー語という非常にへんてこりんな言語であることが、その理由の一
端になっているのかもしれません。何しろハンガリー語は文法が日本
語そっくりですから、ハンガリー人(およびハンガリー系ユダヤ人)
は日本人と同じで語学が非常に苦手です (^^;)。本当は語学が苦手な
んではなく、彼らが学ぶべき国際語である英語やフランス語が異質過
ぎて難しいだけなのですが...。だから外国語が苦手だとされる日本
人もハンガリー語はめきめき上達しますし、ハンガリー人が日本語を
学習してもあっと言う間にマスターしてしまいます。(ですから、ス
テレオタイプで日本人向けのハンガリー語学習書の序文で「ハンガ
リー語は非常に難しい言葉ですが...」なんて書くことには批判的な
のです。「ハンガリー語を学習してみれば、日本人には驚くほど簡単
なことに嬉しくなることでしょう」とでも書くべきだと考えていま
す。)

 世界の金融界を支配していたハンガリー系ユダヤ人のショロシュ・
ジェルジュ(ジョージ・ソロス)も財をなして、最初にしたことが、
当時はまだ社会主義国だったハンガリー人民共和国にショロシュ財団
を創設し、ハンガリーの研究者達に資金援助をしたことです。その後
彼は中欧大学も創設しました。その後、彼は他の東欧諸国やソ連にも
ショロシュ財団を次々と創設し、ソ連東欧圏崩壊の条件を揃えたりも
したのです。とにかく彼が最初に設立した財団がハンガリーであった
ことも、ハンガリーに対する投資が圧倒的に多いことからも、彼がや
はりハンガリー人として“故郷に錦を飾る”的な意識がどこかで働い
ていることは事実でしょう。(ユダヤ人は自分が情緒的であると思わ
れることを嫌いますので、もし、面と向かってそうなのかと尋ねられ
れば、きっと否定するでしょうけどね。でも、行動が証明していま
す。)

 イスラエルの政治家達は、ハンガリー系のイスラエル市民の票田は
無視できないのに、ハンガリー系のユダヤ人に限って公用語のヘブラ
イ語が上手に話せるようにならないので、しかたなくハンガリー語を
覚えて、ハンガリー語でも選挙演説をするのだということをイスラエ
ル出身のハンガリー系ユダヤ人が誇らしげに語るのを聞いたことがあ
ります。ウソかホントか知りませんが。


130 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 15:55
54 :○ さん

> >>53
> 同意。学問の世界で成功したハンガリー出身者の大半はユダヤ系で
> すね。

 あと気をつけなければいけないのは、通常はユダヤ人は自分はユダ
ヤ人だとは名乗らない場合が多いので、世界的に成功した人物は、周
囲のユダヤ人も非ユダヤ人も彼のことをユダヤ人だと思い込んでしま
う場合が多いのです。

 羽場久美子さんは講談社現代新書で音楽家のバルトーク・ベーラや
詩人のアディ・エンドレのこともユダヤ人だったと書いて、ハンガ
リー研究家達の失笑を買っていますが(2人ともユダヤ人ではありま
せん!)、困ったことに一般の読者は彼女の説を信じてしまい、また
あちことでそれを広めることでしょう。

 誰がユダヤ人で、誰がユダヤ人でないかということは例えハンガ
リー人の言うことでも信じてはいけません。バルトークのような偏狭
な民族主義を嫌う人間のことはハンガリー人でも、右寄りの民族主義
者は「あいつはユダヤ人に違いない」と信じているからです。ちょう
ど日本の右寄りの方々が「日本人なら日の丸、君が代、天皇陛下を敬
愛するはずだ」と信じているのと同じことです。


131 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 15:58
55 :梵阿弥 さん

> マジャルの名はモンゴルと関わるようです。

 初耳です。(ホントかもしれないけど。アルタイ語学は専門外なの
で、判断は留保させていただきます。)ちなみに、ハンガリー人に近
い同系のマンシ人のマンシはマジャルと同語源だと考えられていま
す。


132 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 16:10
56 :世界@名無史さん

> 共産党政権の崩壊後総選挙が行われ初の民主的議会では、

 共産党の一党独裁を支持するものではありませんが(というか、一
党独裁には絶対反対)、1990年にハンガリーで起こったことを“民主
化”と呼ぶことには反対です。客観的に“体制転換”とか“政権交
替”という用語を使うべきだと考えています。“民主化”という用語
は予断を与えます。

 むかしの社会主義時代のハンガリーを知っている人ならわかってい
ることですが、1960年代以降ハンガリーの共産党(ハンガリー社会労
働党)は率先してハンガリー社会の民主化を進めてきていました。す
でに 1968年に市場経済を導入していますし、1970年には選挙の複数
立候補制を導入しています。そして 1989年に東欧圏が次々と民衆の
抗議運動で崩壊して行く中、ハンガリーだけは共産党自らが自発的に
ハンガリー社会労働党を解党し、新たにハンガリー社会党を組織し、
自発的に国民に“大政奉還”をしたものでした。

 1970年代のハンガリーのラジオ番組などでは今の日本のマスコミで
は到底あり得ないような辛辣な体制批判の報道番組もたくさんありま
した。

 1990年の総選挙でMDF(ハンガリー民主フォーラム)が政権を取
り、日本では民主勢力が政権を取ったと報道されましたが、非常に偏
狭な民族主義的、かつ権威主義的な保守反動政権で、なんと社会主義
時代にすらパージされなかったジャーナリスト達を次々と追放し、汚
職まみれで、国庫を破綻させました。(MDF政権下の4年間でハン
ガリーした対外借金は、それまでの40年間に社会主義政権がした借金
よりも多かったと言います。)世界でも有数の生産性を誇ったハンガ
リーの農業は破綻し、東欧圏で随一の経済を誇ったハンガリーの経済
はがたがたになりました。

 で、その体制転換で国家存亡の危機の時に“民主的国会”がやって
いたことは、


> 国章に王冠を入れるか入れないかで大モメして審議ストップしたそ
> うな。

という時代錯誤的などうでもいいことだったわけです。で、


> 約1年に渡って国章問題で他の問題そっちのけ。
> おかげで経済ガタガタになったそうな。

という結果になってしまったわけです。


> ちなみに最終的に王冠が入ったって。

 ハンガリーは共和国なのにね。


133 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 16:24
57 :世界@名無史さん

> 所詮オスマン・トルコやハプスブルクの属国

 ハンガリーは一時期国土の中央部、約領土の3分の1をオスマン・
トルコに占領されていた時期がありましたが、ハンガリーがトルコの
属国になった事実はありません。バルカン諸国と混同されていません
か?

 当時のハンガリーはまず、大きく、「ハンガリー王国」と「トラン
シルヴァニア(エルデーイ/ジーベンビュルゲン)公国」に分裂して
おり、ハンガリー王国の南部がトルコの占領下にあったわけです。つ
まり事実上ハンガリーは三分割されていたことになります。しかし、
トルコがいた地域はあくまでも“占領地”であり、ハンガリーそのも
のがトルコの軍門に下ったわけではありません。

 もっとも当時のハンガリー王国はハプスブルク家の王朝でしたの
で、ハンガリー史ではハンガリーの重心は専らハンガリー人の民族王
朝のトランシルヴァニアを本来のハンガリーとみなしていますが。

 なお、オーストリア=ハンガリー二重君主国成立以降は、政治・経
済の重心は明らかに帝都ヴィーンから、王都ブダペストに移りつつあ
りました。(だからこそ、アフロユーラシア大陸最初の ― パリより
も古い! ― 地下鉄はヴィーンにではなく、ブダペストに建設された
のでした。)

 ハプスブルク家にとっても、現在、ドイツ選出の欧州議員である
オットー・ハプスブルク大公はオーストリアの皇位継承権は有してい
ませんが、理論上、ハプスブルグ・オットー大公はハンガリーの王位
継承権は有しています。体制転換後、ハンガリーの民族主義政党の一
部がオットー氏をハンガリーの国王ないし大統領に招聘しようとした
のですが、オットー大公は「私はドイツ選出の欧州議員に留まってい
ることの方がハンガリーの役に立てる」と拒否したそうです。

 オットー氏はドイツ人ですが、帝王学はきちんと学んでおり、ハン
ガリー語にも(ドイツ訛りがありますが)堪能です。この前、小田急
線沿線でオットー氏と遭遇したのですが、彼が英語で挨拶してきたの
に対してハンガリー語で返事をしたら、彼は驚き、嬉しそうに「お
お、あなたも“同胞”[honfita'rsam] でしたか (^^)!」と叫ばれま
した。「いえ、生っ粋の日本人です (^^;)」と答えましたが、“同
胞”と言っても、彼だってドイツ人じゃないの (^^;)!


134 名前: 1 投稿日: 01/09/30 16:43
その画像ならココ
http://www.f2.dion.ne.jp/~impact14/


135 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 16:48
58 :世界@名無史さん

> >51
> おっしゃるとおりマジャール人はフン族の末裔ではありません。
> しかし、彼らの民族伝承では彼らをパノニア平原に導いた族長アー
> ルパードはフン族の大王であるアッチラの末裔だということになっ
> ているそうです。

 そうなんですか (^^)? 寡聞にして存じません。


> 中世の年代記等でもそういう記載になっているそうで、

 中世の歴史書は現代の歴史学的な文献とは違います。ハンガリーに
限りませんが、当時の歴史書はどこの国民のものでも限りなく文学作
品に近く、概ね、彼らの居住地にかつて居住していた名門民族 (?)
を自分らの直接の先祖だとすることが一般的でした。(現代でもルー
マニアの“ダキア=ローマ史観”なんていうのはその典型ですね。)


> アールパード家の王たちは自分たちはアッチラの子孫と信じていた
> のでしょう。

 そう信じていた王様もきっといたことでしょうね (^^)。やはりフ
ン族のアッチラ大王は偉大でしたから、自分のご先祖様だったら嬉し
いですものね。


> ちなみに現在のハンガリーでアッチラという名はけっこうポピュ
> ラーですが、

Attila というハンガリー語の名前の読みは、困ったことに、
“アッティラ”ではなく“アティッラ”(atilla) なのですね。あま
り知られていない事実ですが...。


> >57
> モハーチの敗戦以後はおおせのとおり。しかしアンジュー家のカー
> ロイ・ロベルト王や

 カーロイ・ローベルト (Ka'roly Ro'bert) ですね。“ロー”と伸
びます。


> ラオシュ大王の時代は強国でしたし、

 Lajos の読みは「ラヨシュ」です。


136 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 16:49
>58 :世界@名無史さん

> 有名なマチャーシュ・コルヴィヌス王は

 フニャディ・ヤーノシュの次男、オペラにもなった悲劇の長男フ
ニャディ・ラースローの弟、フニャディ・マーチャーシュ王ですね。
ハンガリーの“水戸黄門”で、ハンガリー・ルネサンス文化を花開か
せた、ハンガリー最高の国王です。コルヴィヌスというラテン語名は
フニャディ家の家紋に大烏(カラス)が使われたいたために、ラテン
語ではマティアス・コルヴィヌスと名乗ったものです。(そこでポー
ランドで生れた非嫡出子にはコルヴィンという姓が付けられていま
す。)ルーマニア人はフニャディ・ヤーノシュをヤンク・デ・フネド
ワラというルーマニア人貴族で、マーチャーシュ王はマテイ・コル
ヴィンというルーマニア人の国王だと主張していますし、セルビア人
も彼はセルビア人だったと主張しています。本当のことは調べようが
ありませんが、元々トランシルヴァニア出身だったので、彼にルーマ
ニア人の血が一部交じっていたとしても不思議ではありません。(た
だルーマニア人貴族というのは存在しなかった。)当時はまだフラン
ス革命による民族意識の登場の前でしたので、当時の人間は自分のこ
とは自分が所属する国家の国民だと考えるのが普通で、仮にマー
チャーシュ王にルーマニア人やセルビア人の血が混じっていたとして
も、本人の意識はハンガリー人だったことでしょう。


> ウイーンを攻略したりもしています。

 一時期、マーチャーシュ王はヴィーンを占領して、ハンガリー王国
の首都と宣言しましたね。彼はトルコとの戦いをおろそかにし、専ら
ヴィーン攻略に熱心だったために、一部の家臣に暗殺されそうになり
ました。「敵はトルコなのに、なぜオーストリアを攻略しようとする
のだ?」というわけです。しかし、どうやらマーチャーシュはハンガ
リー一国では到底巨大なオスマン・トルコには勝てないと判断し、自
らが神聖ローマ帝国の皇帝になり、全欧州を率いてトルコと対決しよ
うとしていたのだと思われます。残念ながら、彼はヴィーンで客死し
てしまいました。(一節では王妃ベアトリックスに雇われた刺客が
マーチャーシュが大便をしていた便槽の中に潜んでおり、真下から剣
で突き刺したのだという話も聞いたことがありますが、ほんとかなぁ
(^^;)?)

 マーチャーシュ王は欧州最大の図書館、コルヴィン文庫を作った
り、中央集権化のために独自の傭兵部隊の黒軍(フェケテ・シェレ
グ)を作ったりと、非常に先進的な国王で、日本の水戸黄門と豊臣秀
吉、織田信長を併せたような傑出した人物でした。彼が夭逝しなかっ
たらハンガリー史や欧州史は変わっていたかも...。


137 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 16:55
59 :世界@名無史さん

> トカイワインは(・∀・) イイ!

 ハンガリーの誇る貴腐ワインのトカイ・アスーは、英国王室やロー
マ法王庁御用達のワインで、フランスのルイ十四世は「トカイこそ諸
王のワイン、ワインの王なり!」(Vinum regnum, rex vinorum) と絶
賛せしめたワインですね。

 しかし、そのトカイ・ワインも今ではサントリーの支配下にありま
す...(-_-;)。非常に憂欝ですね...。日本人なのに、日本の資本が買
収したということを素直に喜べないことが悲しい...。


> ミュージアム、いつか飲んでやる!

 やはりトカイ町(村ではない!)のワインケラーで飲むトカイは
(雰囲気もあり)最高ですね (^^)!

 通常、ワインのような醸造酒はたくさん飲み過ぎると二日酔いにな
ると言われていますが、トカイ・アスーの場合は、翌日、絶対に二日
酔いにはならないんだそうです。残念ながら、そこまで大量のトカイ
を飲む財政的な余裕がないために、自分では実験できないでいますが
(^^;)。いつか、試してみたいですね (^.^;)ゞ。


138 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 17:06
60 :世界@名無史さん

> ハンガリーといえば、東欧革命!
> 現代史に対する貢献度は高い。

 ハンガリーの体制転換はハンガリー社会労働党(共産党)自らが、
率先して国民に大政奉還した歴史的事件ですが、世界史上、一度共産
党が政権を奪取した国で自ら自発的に政権を手放した最初で、唯一の
例ですよね。無血でハンガリーの大政奉還を実現させた当時の共産党
の改革派達の努力には頭が下がります。特に、ハンガリーの改革のポ
ジュガイ・イムレは最大の功労者で、本来ならば新生ハンガリーの初
代大統領になるべき人物でした。しかし、改革者の常として、最後は
ゴルバチョフ同様に石を持って追われました。非常に悲劇的な人物で
す。あと数十年経てば、必ずやハンガリー史は彼の貢献を再評価する
でしょうが、失意のポジュガイには何の慰めにもなりませんね...。

 ポジュガイはハンガリーの政治家に過ぎませんが、ゴルバチョフと
並んで世界史を替えた男だと考えています。そういう意味ではもっと
注目されていい。

 ハンガリーがハンガリーに流入した東ドイツ人難民を同盟国である
東独政府の抗議にも関らず、西側へ出国させました。これがきっかけ
となって、東独政府はベルリンの壁を開放せざるをえなくなり、東独
の崩壊へと繋がりました。東独が崩壊することで、チェコスロヴァキ
アではビロード革命が勃発し(こっちはだからハンガリーとは違って
本物の革命ですね)、チェコの共産党政権が倒れ、その影響でルーマ
ニアでハンガリー人牧師のテーケイ・ラースロー師弾圧事件の絡みで
ティミショワラ(テメシュヴァール)の虐殺事件が起こり、最終的に
はチャウシェスク体制が崩壊し、ブルガリアにも波及し...。ソ連東欧
圏の崩壊の条件を造ったのはゴルバチョフでしたが、実際にそのドミ
ノの一突きをしたのがハンガリーでした。

 ハンガリーが同盟国東独の市民の亡命を認めざるをえなかったの
は、ハンガリーが国際難民条約に社会主義国としては唯一加盟してい
たからで、条約の履行義務があったからです。ではなぜハンガリー政
府が難民条約に加盟せざるをえなかったのかと言えば、それはルーマ
ニアから大量の同胞の難民がハンガリーに亡命してきており、ハンガ
リー系住民の母国としては彼らを保護せざるをえなかったからです。
で、なぜルーマニアから大量の亡命者が発生したかと言えば、血迷っ
た独裁者チャウシェスクが、トランシルヴァニア全土を更地にして、
ハンガリー人の歴史的・文化的遺産を抹殺しようとしたからでした。
ソ連東欧圏崩壊の直接の切っ掛けはだから、トランシルヴァニアのハ
ンガリー系住民弾圧問題に端を発していたのでした。日本では全然報
道されていないけれども...。


139 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 17:13
61 :↑ さん

> それから、チェコなら「抵抗のプラハ」だろうけど、ハンガリーな
> ら「ハンナ」かな。

 「ハンナ」とは??


> ファシスト政権がハンガリー。

 戦前のハンガリー王国のホルティ政権のことをおっしゃっているの
でしょうか? それならば、正しい評価とは言えないでしょう。ナジ
バーニャの勇爵、海軍提督ホルティ・ミクローシュ執政はどうしよう
もない保守的で権威主義的な元首でしたが、保守本流の政治家とし
て、中欧および東ヨーロッパがファシスト化して行く中で、チェコと
並んで最後までブルジョワ民主主義を守った政権でした。(チェコの
方がハンガリーよりはずっと民主的でしたが。それでも当時の欧州の
状況の中ではハンガリーは相対的に非常に民主的な国家でした。この
ことはきちんと評価されてしかるべきでしょう。)ハンガリーにファ
シスト政権が誕生したのは、終戦間際になって、ハンガリーがナチ
ス・ドイツに占領された時にドイツの傀儡として政権に就いたサーラ
シ総統率いる矢十字党政権の、ごくごく短期間だけでした。(それで
も十分な害毒をたれ流しましたけど。)


140 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 17:21
71 :世界@名無史さん

> >69
> 恒文社の「トランシルバニア」コッシュ・カーロイ著にも初期のハ
> ンガリーについての記載がある。

 ハンガリーの博学者(本当は建築家)のコーシュ・カーロイです
ね。彼はトランシルヴァニアの中心都市、コロジュヴァール(クル
ジュナポカ)の出身で、トランシルヴァニア芸術家ギルド (Erde'lyi
Sze'pmi'ves Ce'h) の主宰者でもありました。また、トランシルヴァ
ニアがルーマニア領に組み込まれてからは、トランシルヴァニアに居
住する諸民族の融和を謳ったトランシルヴァニア主義を標榜しました
が、これは未だにダキア=ローマ史観に基づくルーマニアのルーマニア
人至上主義に抵触するので、ルーマニアでは御法度の危険思想です。
(国民国家であるルーマニアにおいて少数民族もルーマニア人と平等
であってはルーマニアが国民国家である意味がないという考え方から
です。それが現在のルーマニア人民族主義者らの反EUの標語「我々
は決してヨーロッパにはならない!」に繋がっているわけです。)

 彼はコロジュヴァールから東のトランシルヴァニアの入口の王ヶ峠
(キラーイ・ハーゴー)に至るカロタセグ(ゾナ・カラテイ)地方を
独立させて「カロタセグ共和国」を樹立するという夢を抱いていまし
た。

 建築家としての彼はアールヌーヴォー様式とハンガリーの民家の様
式を融合させた建物を多く建てております。特にカロタセグのケーレ
シュフェー(イズヴォル・クリシュルイ)村の木造教会は有名です
ね。まだご存命中にコロジュヴァールの実家でお目に掛かったことが
あります。


141 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 17:25
73 :世界@名無史さん

> >72
> 例のチッチョリーナもそうだっけ?

 イタリア上院議員だった(今もそうかな?)チチョリーナ(スター
レル・イロナ)はハンガリー人です。世界で活躍しているハンガリー
人のことは自慢するハンガリー人達ですが、彼女のことはあまり自慢
したくないようです (^^;)。ハンガリー居住時代には女給をしてい
て、警察のたれ込み屋をやっていたとか (^^;)。で、ちょっと警察関
係でヤバくなったので、イタリアに亡命したのだと言うことです。
(本当は違うかもしれませんが。)


> マジャール人て美人が多いのか?

 少ないです (。_B)☆\バキ。しかし、チチョリーナは逆立ちして
も美人ではないでしょう...(^^;)?


142 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 17:29
76 :世界@名無史さん

> 白人の美人は、若い頃はウソみたいに美しいけど、
> そんな人でも年を食ったら「魔女」になっちゃう(笑)

 よく言われますが、ただの俗説ですね (^^)。日本人でも白人でも、
歳をとっても驚くほど若々しく、魅力的な女性はたくさんいます。


> ちなみにシルヴィア・セイント(ポルノ女優)はチェコ人だよね。
> ハンガリーの隣国。

 惜しい! 残念ながらハンガリーとチェコは国境は接していませ
ん。ハンガリーの隣国はスロヴァキア(旧北ハンガリー)です。


143 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 17:30
79 :世界@名無史さん

> >76
> 魔女以外にトドになるという道もある。
> なんであんなに変身してしまうのか・・・・。

 日本人の場合でも同じですが、インテリの女性の場合は中年になっ
ても太らない場合が多いですね。


144 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 17:39
86 :トルコの駆逐さん

> 1687年にはトランシルバニアが、それぞれトルコから解放され
> た。

 トランシルヴァニアがトルコ領であった史実はありません。


> テメスヴァル州はトルコ領にとどまった。

 用語の問題ですが、Temes va'rmegye はテメシュ城県と訳した方が
よろしいでしょう。あるいは「テメシュ県」。ドイツ語では Komitat
と訳されていたかな? 英語から入る人は megye が county と訳され
るので何も考えずに「郡」と訳す人が多くて困っています。また外国
の行政単位を自動的に「州」と訳してしまうのも困りものです。ハン
ガリーの行政機構をきちんと調べれば、megye は「県」と訳し、その
下の「ja'ra's」を「郡」と訳すのが適切だとわかるでしょう。で、
「va'ros」は「市」で、「nagyko:zse'g」が「町」、「ko:zse'g」が
「村」ですね。あとセーケイ地方では va'rmegye に当たる行政組織を
「sze'k」と呼んでいますが、僕はこれは「席」と訳しています。

 なお、Temesva'r は「テメシュヴァール」です。ルーマニア語では
「ティミショワラ」(Timis,oara) ですね。ちなみに、ルーマニア語で
は「ティミショヴァラ」ではなく「ティミショワラ」となっているこ
とから、むかしのハンガリー語では「v」は「w」と発音されていたこ
とがわかります (^^)。「(ナジ)ヴァーラド」(Nagyva'rad) が「オラ
デァ」(Oradea) とルーマニア語に音訳されていることも、やはり同じ
ことの証明です。


145 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 17:45
87 :酔鯨ジョーカーさん

> それはそうと、ハンガリー人のマンコはデカいよ。

 それはあなたのが小さいということでもあります (^^)。

 要するに、人の生殖器は人種ごとに最適化されていますから、大
柄の白人と小柄の日本人ではサイズの不一致が起るわけです。です
から、よく日本人男性が「白人女性は大味だよ」なんて(自分が白
人女性と寝たことを)自慢しますが、むこうは「日本人男性は小味
だわ」と思っていることになります。

 ちなみにハンガリーでは娼婦が書いた本が出版されていますが、
日本人男性の評判はいいようです。日本人男性は前戯も何もせず
に、さっさと挿入し、しかも、早漏ですぐ果ててしまい、金払いも
よく、短時間に効率良くこなせるいいお客なんだそうです。ただ
し、日本人とのセックスは全然楽しくないということのようでし
た。日本人男性の1人としては情けない思いですが...。僕自身は
「女は買わない」主義ですから、日本人男性の名誉回復ができない
が残念ではあります (^^;)。


146 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 17:52
>88 :世界@名無史さん

> 王国なのに王が存在せず

 戦前のハンガリー王国は憲法上元首は「国王」(kira'ly) ではな
く、「執政」(korma'nyzo') ということになっていましたが、これは
ハンガリー王国が教会法上、「使徒王国」(apostoli kira'lysa'g) と
いうカトリック国家であったために、新教徒のホルティは国王になれ
なかったためなんですねぇ。ちなみに korma'nyzo' を「摂政」と訳す
のは、元々国王はいないし、ホルティはお公家さんでも、王族の一員
でもないので不正確だと思います。


> 内陸国なのに摂政が海軍提督だった

 残念でした。オーストリア=ハンガリー二重君主国の連邦を構成する
ハンガリー使徒王国にはフィウメ (Fiume) というアドリア海の海港が
ありました (^^)! フィウメは現在はクロアチア領のリエカ (Rieka)
ということになっていますが。

 それから、ホルティはオーストリア=ハンガリー海軍少将であったわ
けで、何ら矛盾も、問題もありません。現在のハンガリーから過去の
ハンガリーを想像してはいけません。トリアノン条約までのハンガ
リーは欧州でも屈指の大国だったのですよねぇ...。


147 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 17:57
92 :世界@名無史さん

> ホルティの子孫ってどこでどうしてるんだ?

 どうなってるんでしょうね。この8月長男がちょこっとニュー
ジーランドに行っていたのですが、そこの学校の若い女性の先生
が、息子がハンガリー人との混血児だと知って「実は私も父親がハ
ンガリー系なの。ハンガリー語は全然できないけど...。よく知らな
いんだけど、なんでもお爺さんはハンガリーでは有名な人だったそ
うよ」と言われたのだそうです。お爺さんの名前を聞いたら「ホル
ティ・ミクローシュと言うんだって」と言われたそうです (^^;)。
ほんとかなぁ...(^^;)?

 むかし、ハンガリーの大学の音声学の教授がイタリアを旅行した
時に、駐車場のおばさんが「私もご先祖様は有名なハンガリー人
だったのよ (^^)」とイタリア語で話しかけられたそうです。で、そ
の名前を聞いたら「なんでも、コシュート・ラヨシュとか言ったそ
うよ」と言われて仰天したとか。彼女の家に晩ご飯に招待されて
行ったら、お爺様がご健在で、「本当にコシュートそっくりだっ
た!」と先生はおっしゃっていましたが、う〜ん、これもどうなん
だろう (^〜^;)?


148 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 17:59
>93 :世界@名無史さん

> 遊牧民族が単一民族・人種であることは有り得ない
> フンやアヴァールやモンゴルも色々な部族・人種の混じりあった
> 両同体なのだ

 おっしゃる通りだと思います。非常に大事な視点ですよね。


149 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 18:06
>101 :世界@名無史さん

> ハプスブルク家はまだ国籍は取得してないの?

 ハプスブルク家当主のオットー・ハプスブルク大公殿下はドイツ
連邦共和国の国民です。

 ハプスブルク家の人間は旧支配地(オーストリアやハンガリー)
への入国は禁じられていたのですが、どうしてもハンガリーを訪問
したいというので、80年代だったかな?、当時の社会主義政権が人
道的措置として、オーストリアとの国境の町のショプロン(エーデ
ンブルク)を訪問することを認めた経緯がありました(やはり首都
のブダペストはまずいだろうという政治的配慮がありました)。も
ちろん、継承国達は「ハンガリーの領土的野望の復活だ!」とまた
また大騒ぎしましたが...。

 現在ではもちろん、自由にハンガリーに入国できますし、その
後、オーストリアも訪問したんじゃなかったでしたっけ?

 オットー大公がハンガリーに対して非常に愛着を抱いているとい
うのは事実のようです。(前にも書いたように、僕のことを“同
胞”だと誤解したということは、彼の意識の中では自分はハンガ
リー人でもあるという意識があることの現れでしょう。実際、オッ
トー氏は日本と ― ドイツではなく ― ハンガリーの友好のため
に、色々精力的に活動をされて「います。)


150 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 18:13
 これで、だいたいこの掲示板の主な発言には全てコメントを付け
たと思います。2チャンネル的な文体ではなく、皆さんをしらけさ
せてしまったと思いますので、その点は申し訳けありませんでした
m(._.)m。こういうスタイルには慣れてないもので (^.^;)ゞ。

 性格的に、どうしても長文になる傾向があり、皆さんもうんざり
なさったと思います。「2チャンネルのルール違反だぞ (`0';)!」
という声が聞こえてきそうでです。しかし、自分なりに短くまとめ
ようとしたために(効果が見られない (^^;))、結構乱暴な説明
や、本当は微妙に違うのだが、そこまでは言及していない部分もた
くさんありました。すみません。

 2チャンネルの掲示板は、恐らく、アクティブな方々以外に、そ
の何百倍、何千倍ものROMの方々がいらっしゃるだろうと考えて
いますので、検索エンジンなどで「ハンガリー」で検索した場合
に、ここを覗くハンガリーに興味のある人もたくさんいるだろうと
思い、あえて無粋な書き込みをさせていただきました。不愉快に感
じられた点がありましたら(絶対にあったはず (^^;))、申し訳け
ありませんでした m(._.)m。これからもハンガリーのことをよろし
くお願いします!


151 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/09/30 18:33
>>150
正直読む気がしない


152 名前: 名無しさん 投稿日: 01/09/30 18:37
>>150
しい坊さま、どうもお疲れ様でした。

ちなみに、「マジャール」ではなく「マジャル」であるのと同様に、
ここも「2チャンネル」ではなく「2ちゃんねる」ですので念のため。

これからもどうぞ宜しく。


153 名前: しい坊 投稿日: 01/09/30 18:46
152 :名無しさん

> >>150
> ちなみに、「マジャール」ではなく「マジャル」であるのと同様に、
> ここも「2チャンネル」ではなく「2ちゃんねる」ですので念のため。

 おっと、失礼しました m(._.)m! 今後、気をつけます。


> これからもどうぞ宜しく。

 こちらこそ、よろしくお願いします。


154 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/10/02 01:38
発音のツッコミはちょっと厳しすぎるって。
それくらいおおらかに見てあげないと、
2chの書き込みは突っ込まなきゃいけないところだらけになる。

いま話題の「タリバン」はターリバーンもしくはターレバーンにしろ、とかね。


155 名前: 梵阿弥 投稿日: 01/10/02 16:26
>>131
しい坊さん頼もしいですね。さてマジャルとモンゴルの名の繋がりはなんかで1度読んだ事が
あるだけで書き込んでおきながらちょっと頼りない。マジャルの語源は今のところ不明ですか?
>>146
トリアノン条約後は海軍は無くなっていたのではないのですか。だったら元提督の方が良いと
思うのですが。リエカは河の意だそうです。フィウメもそうでしょうか。


156 名前: ギシュクラ・ヤーノシュ 投稿日: 01/10/03 00:15
しい坊さま
51です。歴史好きの友人(ご主人はハンガリー人)から聞いた話ですので
正確ではないかも知れませんがハンガリーの建国伝説におけるアッティラ関
連の件です。
それによれば、フン族とマジャール族はもともとひとつの民族だったいうこ
とになっております。
その当時の彼らの王(族長のことでしょう)ニムロードの息子のフノルとマ
ジャールが狩りに出かけて牡鹿に出会い、その後を追ってたどり着いた土地
現地の娘と結婚して住み着きました(ドンの河口あたりのことだそうです)。
やがて、その地も手狭となり新天地を求めて旅立つかが一族の中で議論され
ましたした。その結果、フノルの子孫であるフン族は神の剣の飛んでいった
西の方角へと向かい、マジャールの子孫はドン川の河口の地に居残ってフン
族からの知らせを待つことになったそうです。
西に向かった当時のフン族の長の息子がアッチラとブダです。
フン族はドナウとティサの間の地に落ち着きその地で神の剣を見つけます。
そしてその神の加護の元に「世界征服」をしたことになっています。
古い年代記(たぶんゲスタ・ウンガロルムのことでしょう)ではこの伝説を
基にアールパード(後に残ったマジャールの子孫)達の「フンニア」(ドナ
ウの東)征服を正当化しているのだそうです。つまりフンニアはアッチラが
神の剣を見つけた土地でフン族とマジャール族にとっては神に約束された土
地ということになるのだそうですです(フン族の征服した土地ともみれるが、
一般にはドナウの西のパンノニアに対してドナウの東)。>>
さて伝説ではアッチラにはアラダールとチャバの二人の息子がいて跡目を巡
りフン族を二分して凄惨な争いをしたといいます。流血の闘争の結果はチャ
バがアラダールを殺して勝利を得ましたが、一族のうち生き残ったのは数千
人という悲惨な状況になってしまいました。ここにおいてチャバはマジャー
ル族を呼びに戻ることを決意します。マジャール達の力を加えてアッチラの
領土を取り戻そうとしたのです。そこで東の果てのセーケイに一族のうち3
千人を残しマジャールの住む祖先の地に向かって出発しますが、出発に際し
儀式を行い、セーケイに残る一族に危険が迫ればすぐさま駆けつけることを
誓ったのです。ここにおいてチャバはマジャールの地へ出発しかけましたが
セーケイが敵に襲われ3度戻る破目になりました。そして4度めに出発して
その後戻ることはなかったのです。百年後、再びセーケイが敵に襲われたと
きチャバ達は当然もうこの世にはいなかったのですが、天から舞い戻ってき
てセーケイの危機を救ったといわれています。セーケイに残ったもの達がト
ランシルバニアのセーケイ人の祖先になったと言われているわけですが、彼
らにとってチャバは誓いを守りセーケイを救う勇者なのだそうです。
東に向かったチャバ達ははマジャールの住む地に無事にたどり着き肥沃で美
しいフンニアのことを語り旅立つことを勧めました。マジャールの若者たち
は出発に乗り気でしたが、長老たちは今はその時ではないと時が満ちるのを
待つように言い、すぐには出発しませんでした。
そして4百年後にマジャール達は「約束の地」に向かったのです。
因みにチャバがアールパードの一族の先祖となるのだそうです。

全く余談ですが第二次大戦中のハンガリー軍の対空戦車はニムロード、
装甲車はチャバの名がつけられています。

余談ついでですが王宮の丘にあるハンガリーの昔のトーテムであるト
ゥルル(鷲の怪獣みたいな想像上の生き物)が守っている剣が伝説の
神の剣を表しているのだそうです。

素人が伝聞を元にして書いてますのでご笑覧ください。
教えてくれてTさん感謝。


157 名前: しい坊 投稿日: 01/10/04 13:30
>155 :梵阿弥さん

>>>131
> マジャルの語源は今のところ不明ですか?

 magyar「マジャル」は古語では mogyer「モジェル」で、ウ
ゴル語ないしフィンウゴル語時代の複合語 (magy-ar) だろう
と考えられています。前半分の magy- ないし megy- はハンガ
リー語に一番近いと言われているヴォグル語の自称であるマン
シ (måńś) と同源で「人」の意味だった
と推定されています。もしかすると、印欧語族の *manu「人」
(英語の man)と同系かもしれないという意見もあります。後
半の -ar ないし er は embër「人」の後半の ër
や férj「夫」の ér と同源の *er「人」とさ
れています。(つまり、語源的には「人間人」という意味だっ
たのか (^^;)?)

 magyar<mogyer の再構形は *mańć3「マン
チャ」で「モーシュ人」という意味だったと考えられていま
す。


158 名前: しい坊 投稿日: 01/10/04 13:49
>155 :梵阿弥さん

> >>146
> トリアノン条約後は海軍は無くなっていたのではないのです
> か。

 トリアノン条約以降はハンガリーは軍隊を持つことを禁止され
ましたが、実際には「自衛隊」という呼称の戦力を有しておりま
した(どっかで聞いた話だ (^^;))。海港を失ったために、「海
軍」(haditengërészet) はなくなりましたが、「水
軍」とも言える「河川軍」(folyami er?) は有しておりまし
た。


> だったら元提督の方が良いと思うのですが。

 オーストリア=ハンガリー海軍の少将 (ellentengërnagy)
であった本人が海軍提督 (tengërnagy) を名乗っていたの
で、難しいところです。アフガニスタンの北部同盟の“マスード
司令官”なんていう称号も、本人が勝手に名乗っているもので
しょうが、新聞はその通りに報道しています。(アフガニスタン
の用語は個人的には「司令官」よりは「大将」、「戦士」よりは
「武士」と呼んだ方がいいのではないかと考えていますが...。)
米国でも大統領経験者は退任後も「大統領閣下」と呼ばれます
し、確か欧州でも退役軍人も退役前の階級で呼ばれる習慣があっ
たはずだと思います。

 基本的には海軍が無くなった後でも、本人は海軍提督を名乗っ
ておりましたし、ハンガリー政府も公式に海軍提督と呼んでおり
ましたし、周辺諸国も海軍提督として扱っておりましたから、
こっちで勝手に「元海軍提督」なんだから「元海軍提督」という
呼称にすべきだと勝手に変えてしまうべきではないのではないか
と思います。(そうしてしまうと西洋文化の大切な部分が見えな
くなってしまうかもしれません。)


> リエカは河の意だそうです。フィウメもそうでしょうか。

 Fiume はハンガリー唯一の海港で、ハンガリー王国直轄の自由
都市でしたが、住民の大半はイタリア人でした。ですから、この
町の名前はイタリア語で、意味は「川」です。クロアチア語の
Rijeka も同じ意味です。


159 名前: 梵阿弥 投稿日: 01/10/04 14:45
>>158
政府が提督と呼んだというのも面白いですね。提督といえば公務員な訳ですがまさか國家から
俸給を受けていた訳ではないでしょう?海をよこせ(フィウメを租借させろとか)という無言の
意思表示でしょうか。
故アマド・シャー・マスド氏はれっきとした国防相でしたよ。ラバニ政権の支配域は國土の10%
でしたが。國連の議席は持っています。國防相を司令官と呼ぶのがいいのかどうかは
解りませんが。


160 名前: しい坊 投稿日: 01/10/04 18:00
文字化けのための訂正です

 特殊文字を使った表示はやはりむずかしいですね。
一応、修正してみましたが、今度はどうでしょうか?


>157 :しい坊 :01/10/04 13:30
>  magyar「マジャル」は古語では mogyer「モジェル」で、ウ
> ゴル語ないしフィンウゴル語時代の複合語 (magy-ar) だろう
> と考えられています。前半分の magy- ないし megy- はハンガ
> リー語に一番近いと言われているヴォグル語の自称であるマン
> シ (måńś) と同源で「人」の意味だった
> と推定されています。もしかすると、印欧語族の *manu「人」
> (英語の man)と同系かもしれないという意見もあります。後
> 半の -ar ないし er は embër「人」の後半の ër
> や férj「夫」の ér と同源の *er「人」とさ
> れています。(つまり、語源的には「人間人」という意味だっ
> たのか (^^;)?)
>
>  magyar<mogyer の再構形は *mańć3「マン
> チャ」で「モーシュ人」という意味だったと考えられていま
> す。

 magyar「マジャル」は古語では mogyer「モジェル」で、ウ
ゴル語ないしフィンウゴル語時代の複合語 (magy-ar) だろう
と考えられています。前半分の magy- ないし megy- はハンガ
リー語に一番近いと言われているヴォグル語の自称であるマン
シ (måńś) と同源で「人」の意味だった
と推定されています。もしかすると、印欧語族の *manu「人」
(英語の man)と同系かもしれないという意見もあります。後
半の -ar ないし er は embër「人」の後半の ër
や férj「夫」の ér と同源の *er「人」とさ
れています。(つまり、語源的には「人間人」という意味だっ
たのか (^^;)?)

 magyar<mogyer の再構形は *ma&ńć3「マン
チャ」で「モーシュ人」という意味だったと考えられていま
す。


>158

>  トリアノン条約以降はハンガリーは軍隊を持つことを禁止され
> ましたが、実際には「自衛隊」という呼称の戦力を有しておりま
> した(どっかで聞いた話だ (^^;))。海港を失ったために、「海
> 軍」(haditengërészet) はなくなりましたが、「水
> 軍」とも言える「河川軍」(folyami er?) は有しておりまし
> た。

 これは正しくは、

 トリアノン条約以降はハンガリーは軍隊を持つことを禁止され
ましたが、実際には「自衛隊」という呼称の戦力を有しておりま
した(どっかで聞いた話だ (^^;))。海港を失ったために、「海
軍」(haditengërészet) はなくなりましたが、「水
軍」とも言える「河川軍」(folyami erő) は有しておりまし
た。

です。


161 名前: しい坊 投稿日: 01/10/04 18:10
>159

> 提督といえば公務員な訳ですがまさか國家から俸給を受けてい
> た訳ではないでしょう?

 どうなんでしょうね? 我が家に戦前の公務員の俸給表があっ
たんですけど、ちと、見つけられません。海軍少将として俸給を
受けていたかどうかは別にして、先も書きましたように、職業軍
人(特に将官)が退役した後は、退役前の最後の階級で呼ぶのが
一般的ですから。多分、米国でも同じではありませんでしたっ
け?


> 海をよこせ(フィウメを租借させろとか)という無言の意思表
> 示でしょうか。

 違うと思います。単なる儀礼だと思います。また、当時のハン
ガリーに「フィウメを“租借”させろ」という意志はなかったで
しょうね。“租借”ではなく“返還”でしょう (^^;)。(日本政
府も北方領土の“租借”は要求していませんよね?)


> 故アマド・シャー・マスド氏はれっきとした国防相でしたよ。
> ラバニ政権の支配域は國土の10%でしたが。國連の議席は持っ
> ています。

 なるほど!


> 國防相を司令官と呼ぶのがいいのかどうかは解りませんが。

 文民ではなかったのでしょうか? また、他の軍閥 (?) のリー
ダー達も日本では「司令官」と呼ばれていますよね。彼らもかつ
てのラバニ政権下では実際に将官ないし、部隊の隊長だったので
しょうか?


162 名前: しい坊 投稿日: 01/10/04 18:35
156 :ギシュクラ・ヤーノシュさん

> 歴史好きの友人(ご主人はハンガリー人)から聞いた話ですの
> で正確ではないかも知れませんがハンガリーの建国伝説におけ
> るアッティラ関連の件です。それによれば、フン族とマジャー
> ル族はもともとひとつの民族だったいうことになっておりま
> す。その当時の彼らの王(族長のことでしょう)ニムロードの
> 息子のフノルとマジャールが狩りに出かけて牡鹿に出会い、そ
> の後を追ってたどり着いた土地現地の娘と結婚して住み着きま
> した(ドンの河口あたりのことだそうです)。

 はい、それは、いわゆる「フン・マジャル伝説群」で伝えられ
ている伝説です。いつ頃からそういう“伝説”が騙られるよう
に、違った、語られるようになったのかは不明ですが、ハンガ
リー人がフン族と親縁関係にあるという話はすでにアノニムスの
歴史書『ゲスタ・フンガロールム』に記述があります(13世紀に
著された、現存する最古のハンガリーの史書です。ただし著者は
歴史学者ではなく、13世紀の欧州の状況を過去に投影するなど、
内容に信憑性がないことはわかっています)。フン・マジャル同
系説はケーザイ・シモンやカールティ・マールクが表わした『年
代記』には詳しく記述されています。ただ、現在の研究では、こ
れらがハンガリー人のカルパチア盆地への征服定住前の伝説を含
んでいるという考えは否定されています。恐らくは中世の歴史家
達がハンガリー人の歴史を偉大なものに見せるために、パンノー
ニアのゲルマン人やハンガリー王国の都市に居住するドイツ人市
民、ドイツ人移民等の諸伝説や、吟遊詩人 (Spielmann) が歌い伝
えたニーベルングの歌に含まれている西欧世界のフン伝説等や、
スロヴェニア人の仲介で伝えられた東ゴート人のアッティラ伝説
等から創作したものではないかと想像されています。言わば、大
和政権が征服した多くの地方豪族等の伝説を自らの伝説に統合し
た『古事記』のようなものだと考えればよろしいでしょうか?

 楽しい話ですが、学術的には完全に史実ではないと証明されて
いると言ってよいでしょう。しかし、楽しい話ですから、当然、
今のハンガリー人達は色々なものの名前にそれらの登場人物の名
前を使ったりします。我々日本人も伊弉諾(いざなぎ)や伊弉冉
(いざなみ)の話や、素戔嗚(すさのお)の話は血湧き肉踊るも
のがあり、アニメなどにもなっていますが、本気でそれを史実だ
と信じている人は、一部の「新しい日本史を考える会」の人達位
なものでしょう (^^;)。ハンガリー人もだいたい同じスタンスで
す。

 この一連の「フン・マジャル伝説群」は史実ではありません
が、ハンガリーを研究する者であるならば、当然、常識として
知っていなければならないということは言うまでもありません。
ちょうど日本史を研究する外国人の研究者も『古事記』は知って
いなければならないように。しかし、誰も『古事記』の記述を史
実だと主張はしませんよね?(『古事記』の物語は好きだという
人は多いでしょうけど。)


163 名前: ギシュクラ・ヤーノシュ 投稿日: 01/10/05 00:12
しい坊さま
ありがとうございます。私もこれが事実とは思っておりません。
ただ、ハンガリー人の考え方の中にこのような伝説があるという
ことは承知しておくべきことと考えます。

一方で西欧諸国では悪魔の如く恐れられるアッティラの末裔を自
称し、また一方では初代国王イシュトヴァーン1世に対してロー
マ教皇が王冠を授ける際に使者に対して「汝らの首長は真の使徒
なり。」と言ったという使徒王国(これも伝説さそうですが)の
伝承を信じているというあたりが非常に興味深い部分です。

伝説といえばマーチャーシュ王の世直し伝承も面白いですね。
周囲の人間にとっては織田信長の如き理解不能の人物だったように
思えるのですが、どういった経緯であのようなお忍びで国内を回った
という伝承が生まれたのか興味のあるところです。

フニャディ家ですがフニャディ・ヤーノシュシュの父の代にワラキア
から逃れてきたワラキア貴族だそうでフニャディの姓はフニャドの地
を領地として与えら時に授かったものだそうです。人種的な問題を究
明するならばアルバ・ユリアのフニャディ家の墓の骨を調べたらと思
いますが、当時の彼らはおっしゃる通りイシュトヴァーン王冠に属す
る領土の貴族である以上、ハンガリー人だとしか思ってなかったので
しょうね。


164 名前: しい坊 投稿日: 01/10/05 01:48
>163:ギシュクラ・ヤーノシュさん

> 一方で西欧諸国では悪魔の如く恐れられるアッティラの末裔を自称し、ま
> た一方では初代国王イシュトヴァーン1世に対してローマ教皇が王冠を授
> ける際に使者に対して「汝らの首長は真の使徒なり。」と言ったという使
> 徒王国(これも伝説さそうですが)の伝承を信じているというあたりが非
> 常に興味深い部分です。

 “使徒王国”に関しては“伝説”とまで言い切ってしまっていのかどうか
はわかりません。要するに、ヴァチカンにその資料が現存していないという
ことで、今となっては本当かどうか確認のしようがないということのようで
す。(中世のハンガリー人達の捏造である可能性も大いにありえますね。)


> 伝説といえばマーチャーシュ王の世直し伝承も面白いですね。周囲の人間
> にとっては織田信長の如き理解不能の人物だったように思えるのですが、
> どういった経緯であのようなお忍びで国内を回ったという伝承が生まれた
> のか興味のあるところです。

 マーチャーシュ王の全国漫遊は(例えば、農民の若者の姿に身を窶して悪
人をこらしめた『コロジュヴァールの悪代官』物語とかですが)、水戸黄門
の全国漫遊同様、史実ではないようです。このマーチャーシュ王の伝説は後
世の農民達が作り出したようですが、実際にはマーチャーシュ王の時代に
は、国王専属の傭兵部隊である黒軍(フェケテ・シェレグ)の維持費や、コ
ルヴィナ文庫の充実費用、その他のために、非常に高額だったと言われてい
ます。それなのにマーチャーシュの人気が高いのは、彼の黒軍等による中央
集権化により、(彼の治世下だけの一時期ですが)下克上の群雄割拠の戦国
時代にピリオドを打ち、農地が荒らされることも、戦乱で命が脅かされるこ
ともなくなったためだと分析されています。高い年貢を支払っても十分見返
りがあったということで、要するに、現代の北欧のような“高福祉高負担”
社会を実現したためだと考えられています。(想像するに、ギシュクラ・
ヤーノシュさんはこのことはご存じだろうなと思います。多分、ハンガリー
史がご専門なのでは?)


165 名前: しい坊 投稿日: 01/10/05 01:49
>163:ギシュクラ・ヤーノシュさん


> フニャディ家ですがフニャディ・ヤーノシュシュの父の代にワラキアから
> 逃れてきたワラキア貴族だそうでフニャディの姓はフニャドの地を領地と
> して与えら時に授かったものだそうです。人種的な問題を究明するならば
> アルバ・ユリアのフニャディ家の墓の骨を調べたらと思いますが、当時の
> 彼らはおっしゃる通りイシュトヴァーン王冠に属する領土の貴族である以
> 上、ハンガリー人だとしか思ってなかったのでしょうね。

 フニャディ家の出自に関しては色々な説があります。当時のハンガリー人
歴史家のヘルタイ・ヤーノシュはフニャディ・ヤーノシュはジグモンド王と
ルーマニア人農民の娘との間に生まれた非嫡出児だったと書いています(こ
れは彼が非嫡出児だと貶めるためではなく、国王の御烙印であったと彼を誉
め称えるための記述です)。デーチ・シャームエルは、フニャディ・ヤーノ
シュはジグモンド王とマーリア王妃の間にダルマチアで生まれた嫡出児だと
主張しています。他の記述によればヴェロナの Scaliger 一族の血を引いて
いるということだし、コルニデス・ダーニエル等によればポーランドのコル
ヴィン一族の末裔だということです。別の意見ではホッローシュ(大烏の)
ないしフニャディ=セーケイあるいはフニャディ=オラー(オラーはルーマニ
ア人という意味)という姓の一族の末裔だと主張しています。プライ・ジェ
ルジュはルーマニア人公が先祖だと主張しています。トゥローツィやガレ
オッティ、トベロ、アエナス・シルヴィウスはトランシルヴァニアのルーマ
ニア人だったのではないかと 考えています。 近代になってテレキ・ヨー
ジェフ伯爵は、周到な反証を挙げてこれらの仮説を否定しました。彼はブダ
イ・フェレンツやカズィンツィ・フェレンツ、ペーツェイ・ヨージェフらと
同じように フニャディ・ヤーノシュは 無名のハンガリー人貴族の出身だっ
たと考えていました。 ナジ・イヴァーンも同じ考えです。 その後レー
ティ・ラースローとチャーンキ・デジェーは、フニャディ家は恐らく、アル
バニア人、ルーマニア人、ブルガリア人、セルビア人等の血が混ざったルー
マニア人の家系の出身だったのではないかと主張しています。ま、未だにフ
ニャディ家の出自は決着は付いていないのですが(要するにフニャディ家の
出自に関する文書の証拠が何も無いので、推測するしかない)、少なくとも
ハンガリー側の研究では ハンガリー人にとっては 全く嬉しくはないはずの
ルーマニア人の血が入っていたという可能性は否定されていないということ
ですね。

[続く]


166 名前: しい坊 投稿日: 01/10/05 01:55
>165

[続き]

 フニャディ家についてわかっている(=文書の残っている)一番古い先祖
はシェルブないしショルブと、ラドゥルという兄弟です。(ラドゥルの方は
いかにもルーマニア人的な響きの名前ですね。)シェルブないしショルブは
トランシルヴァニアのヴァイダ(太守かなぁ...?)として国王から城を賜
ります(だからここから記録が残っているのでしょうが。フニャディ家はこ
のとき突然ハンガリー史に登場します。フニャディ家のそれ以前の歴史は全
くの謎です)。その城がフニャドヴァール (Hunyad-vár) ないしフ
ニャド・ヴァーラ (Hunyad vára) です。(vár は「城」
で、vára は「の城」です。)ヴァイダのフニャド城があるというの
で、この村はヴァイダフニャド (Vajdahunyad) と呼ばれるようになりまし
た。この地名のルーマニア語名はフネドワラ (Hunedoara) です。当時のハ
ンガリー語のvの発音が実はwだったということがわかります。つまり、当
時のハンガリー人は「フニャド・ワーラ」と発音していたのですね。で、
シェルブないしショルブの子どもが、長男のマゴシュ(ハンガリー語で「高
い」という意味です)、次男のヴォイク(ヴァイクと同じでハンガリーの初
代国王イシュトヴァーンの幼名と同じです。これはハンガリー人の名前。
ヴォイクにはブティという別名もあったらしい)、三男のラドゥルでした。
で、次男のヴォイクはモルジナイ・エルジェーベト(後に彼女はチョルノコ
シ・ヤロスラーヴの妻となります。夫と死別したのかな?)と結婚して、彼
らの子どもが長女(名前不詳。成年後セーケイという姓の男性の下に嫁い
だ)、長男ヤーノシュ(後にハンガリー摂政、マーチャーシュの父)、次男
ヤーノシュ(後にセレーニュシェーグの太守)、次女マーリア(成年後アル
ジェシ・マンズィッラに嫁ぐ)でした。で、この長男のヤーノシュがシラー
ジ・エルジェーベトとの間に設けた子どもが長男ラースロー(ベルグラード
[ベオグラード]長官)と次男マーチャーシュ(後に国王)でした。マー
チャーシュは最初ポディーブラット・カタと結婚しますが、後にナポリ国王
の娘、ベアトリーチェ王女を妃にします。で、マーチャーシュは嫡男に恵ま
れず、ポーランドのヴロツワヴ市のブルジョアの娘との間に設けたヤーノ
シュだけが唯一の息子です。息子はコルヴィン・ヤーノシュと名付けられ、
後にクロアチア=スラヴォニア=ダルマチア太守、オッペルン公爵になりま
す。彼はフランゲパン・ベトリックスと結婚し、長男クリシュトーフと長女
エルジェーベトの2児を設けますが、2人とも幼く夭逝しています。これで
フニャディ家の血は途絶えます。

 フニャディ・ヤーノシュがジグモンド王の御烙印だという伝説は、それま
で全く無名の一族だったフニャディ家がヤーノシュの代になって、ジグモン
ド王の厚い信頼を得て、あっと言う間に出世し、なんと最後には国の副王、
摂政にまでなってしまったので、実は国王の隠し子だったのではないかとい
う勘繰りが生まれたためでした。もちろん、真相はそうだったのかもしれま
せん。またルーマニア人出身説を取れば、ルーマニア人側は「それは当然
ルーマニア人だったから客観的に彼は優秀だったから出世したのだ」と主張
するでしょう (^"^;)。


167 名前: ギシュクラ・ヤーノシュ 投稿日: 01/10/05 13:48
しい坊さま
詳細なレス感謝です。
私はハンガリーの歴史を趣味で調べているだけの一介の素人です。
フニャディ家の時代は非常に興味のある部分でご教示感謝いたします。

ヤノシュ・フニャディのジグモンド(神聖ローマ皇帝ジギスムント)
のご落胤説というのは彼の在世中からあったそうですね。そうとでも
考えないと理解不能の出世ぶりだったのでしょうね。

マーチャーシュ王の時代に御用学者がフニャディ家をローマ貴族の末
裔だとかいう系図を作ったらしいですが、秀吉が天皇のご落胤という
話を作らせたのと通じるところがありますね。

ところでハプスブルクのエリザベート皇后(シシー)の侍従でフニャ
ディ伯爵なる人物がいますし、戦前のハンガリーを旅行したイギリス
人の旅行記にもフニャディ伯なる人物が登場しますが、これはヤノシュ
の兄弟の末裔でしょうか。オーストリアのスケート選手にフニャディ姓
の人物もいますね。

ベアトリーチェ王女
なんか物凄く評判の悪い人物ですね。私はマーチャーシュ王を毒殺した
という俗説を聞いたことがありますし、コルヴイィン・ヤーノシュも彼
女に殺されたという俗説があるそうです。

フェケテ・シェレグ
私は黒衛軍の方が語感が良くて好きですが・・・。
非常に興味深い軍隊ですね。チェコのフス派の強硬派であるターボル派
の残党を主力にしてるのですね。
おそらくはマーチャーシュに降参した今のスロバキアを実質的に支配し
たチェコ貴族出身の傭兵隊長ヤン・イスクラ・ズ・ブランディサの軍団
が主体なのでしょうが、クセジュのチェコ史ではもう一つのフス派の残
党であるペトルのアクサミットの配下の軍団を撃破し指揮官を処刑して
配下に収めたと書かれています。
マーチャーシュ王の死後、大貴族連が黒軍を解体(というかだまし討ち)
にしてなければモハーチであの有様にはならなかったようにも思います。


168 名前: ギシュクラ・ヤーノシュ 投稿日: 01/10/05 13:54
しい坊さま
マーチャーシュ王も「ヨー・キラーイ」(正義の王?)と
言われてますが「イシュトヴァーン・ヨー・キラーイ」という
ロックオペラがありますね。
私は全くハンガリー語がわかりませんがビデオやCDで楽しんで
ます。


169 名前:     投稿日: 01/10/05 15:47
ハンガリーよりルーマニアのほうが
モンゴル顔が多くないですか?


170 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/10/05 22:23
>>169
ハンガリーは混血でほとんどアジア人の血は残ってないでしょう。
でも向こうの人と話したら俺達にはアジアの血が流れている、と
言ってましたけど(それは俺が日本人だから合わせたのかな?)

ブタペストの王宮の辺りにある戦前の旧国防省を見た。
弾丸だとかの後だらけで、ボロボロなのね。
他は修復したけどここだけは戦争を忘れないために残してあるんだって。


171 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/10/05 22:53
とても親日的な人がいてあったかいよ。


172 名前: ギシュクラ・ヤーノシュ 投稿日: 01/10/05 23:24
>170
あの建物をどうするかは結論が出ていないようですね。
私の聞いた話では撤去してもあの場所は処刑場の跡だし
復元するのも問題があるしとのこと。

昨年行ったら旧首相官邸が工事中でした。

私の印象ではハンガリー人はアジア人が嫌いなようです。
ブダペストの住人である知人は結構不愉快な目にあって
いるようですよ。


173 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/10/06 00:28
日本好きでも中国、韓国人嫌いは多い。


174 名前: ウスタシャ 投稿日: 01/10/06 01:16

 リエカを"返還"しろとは全くキミはアタマのイカれた大ハンガリー主義者な
のかい?

 そりゃラヨシュは確かにラヨシュだがよ。ラオシュくらい見逃すのが人間の
寛容ってもんだろう。
 っていうかもうちょっと周り見て書き込もうや。
 発音のツッコミは厳し過ぎる、とか読む気しねえ、とか言われてんじゃん。
 あんまり自己中だと周りの民族に嫌われるよ。

 まあ、書き込むのは自由だから、あえて直せとか言わん。好きに書くがいい